月齢
女性向けブログ。ネタ語りや小説など。ルーク至上主義。
中編
五話目。いろいろと動きというか。
公爵夫妻の決意と、ティア襲撃。
ティアに厳しめです。
若干、シュザンヌにも厳しめかもしれません。
あらあら、とシュザンヌは困ったように頬に手を当てた。寝室に入ってきたクリムゾンは、明らかに苛立っていた。眉間にくっきりと皺が刻まれている。
その原因は、十中八九、先日、ファブレの屋敷にやって来た新しい『メイド』だろう。正確には、彼女が元所属していた騎士団の上司と言うべきか。
ほぅ、と吐息し、シュザンヌは部屋の片隅に彼女付きのメイドが用意していってくれたブランデーに歩み寄り、デキャンターから氷を三つ入れた角ばったグラスに、ブランデーを注いだ。
こぽ、とくとくとく。まろやかな音を立て、グラスの底に琥珀色の液体が溜まる。カラン、と氷が涼しげな音を立てた。
「どうぞ、あなた」
「あ…、ああ、すまん、シュザンヌ」
甘やかな香りを漂わせるブランデーを手渡し、シュザンヌは微笑んだ。毒気を抜かれたように、クリムゾンが肩の力を抜く。眉間の皺も緩んだようだ。
「手放したりは、なさいませんよね」
わざと主語を抜き、核心を狙って突く。クリムゾンが目を瞠り、苦笑した。
「ああ、そのつもりはない。それでは、導師イオンに申し訳が立たないからな」
「ふふ、よかったですわ。ルークはあの子のことを好いているようですから、引き離しては可哀想ですもの」
安心したように微笑を深め、シュザンヌは桃色の髪の少女と朱色の髪も息子の姿を思い浮かべる。昼日中、中庭でアリエッタの姉妹であるライガとともに戯れていた、楽しげな笑い声。
あんなふうに笑うルークを見るのは、初めてだった。今まで、本当に寂しい思いをさせてしまっていたのだと、シュザンヌの胸を締め付けた、ルークの笑い声。
「ガイといるときだって、あの子はあんなふうに笑ったことなんてありませんでしたわ」
「あの子は愚かではないからな。ガイの暗い目に気づいていたのだろう。…ちゃんと見ていれば、あの子の賢さはもっと前に気づけたことだったのにな」
ぽつりと暗く落とされたクリムゾンの言葉に、シュザンヌも目を伏せる。そのとおりだ。『記憶喪失の可哀想な息子』と哀れみを向けていた己の愚かさに恥じ入る。
ルークを哀れむことで、シュザンヌは自身を哀れんでいた。可哀想な息子を持った、可哀想な自分。そして、自分を哀れむばかりで、息子を見ようとはしていなかったのだと、今ならわかる。
アクゼリュスの預言のこと。秘預言のこと。その二つを、導師イオンから聞いたクリムゾンから、教えられたとき、シュザンヌは己の浅ましさを思い知ったのだ。
ルークの誘拐。それは、どこか現実感を欠いたものだった。預言に詠まれていない出来事だったからだ。
つまり何かの間違いでしかないのだと、いずれ正常な日常に戻るはずの一瞬の出来事でしかないと、シュザンヌには思えたのだ。
預言を日常的に詠んでもらうだけの金銭のない庶民ならばともかく、貴族にとって、預言は日々のものだ。それに従い、生きる。預言は、シュザンヌにとって現実そのものだった。
だから、預言に詠まれていないルークの誘拐は、まるで芝居の一幕のようなものだった。シュザンヌはその芝居の中で、息子を哀れむ母親を演じることを楽しんだ。
──預言に、息子の死と、その死を無に帰す世界の滅びが詠まれていることを知るまでは。
カ、ラン。氷が崩れる音がし、シュザンヌはグラスに目を向けた。ブランデーの中で氷が溶け、角が取れている。
クリムゾンもグラスに目を向け、唇を縁に宛がうと、一息に飲み干した。
「…ヴァン・グランツは、何と言ってきていますの」
「アリエッタを引き渡して欲しい、だそうだ。騎士団を逃亡したのでなどと、取ってつけたような言い訳が記されていたが、アリエッタの辞表届は、導師イオンが生きている間に、受理されているからな。トリトハイム詠師と第六師団長のカンタビレが証人だ。二人に報告書を出しておいた。二人から抗議が行くだろう」
「少しは懲りるといいのですけれどね。ファブレを舐めるのも大概にして欲しいですもの」
「ふっ、まったくだ」
シュザンヌは夫ともに、人の悪い笑みを浮かべ合う。預言という偽りの現実から解き放たれることを選んだ二人を止めるものはない。
アリエッタの幸せのためだけに預言を覆し、世界を救おうとするイオンに、二人は感化されていた。
世界を救うための預言からの脱却は、もちろん、キムラスカのためでもある。だが、それ以上に、二人にとって、それは息子『たち』のためなのだ。親として、子どもたちの幸せを願って何が悪い。
「シュザンヌ、お前も少し飲むか?」
「そうですね、では、少しだけ」
「ああ、乾杯といこう」
クリムゾンがもう一つのグラスに氷を入れ、少しだけブランデーを注いで手渡してくれるのを受け取り、シュザンヌはにこりと頷いた。
「すべては、私たちの愛しい『聖なる焔の光』のために」
カチンッ、とグラスが触れ合い、ブランデーがとぷりと波打った。
*
アリエッタは不快を隠さずに、あどけない顔を顰めた。緋色の目がきつく細められる。鋭い目で見上げた先には、神託の盾騎士団総長、ヴァン・グランツ。
ヴァンの顔には焦燥が滲んでいた。『聖なる焔の光』が『鉱山の街』に向かうことが詠まれた預言の年となり、アリエッタを仲間にひき入れなければと焦っているようだ。
「アリエッタ、私の話を聞きなさい」
「アリエッタはもう教団を辞めたです。総長に命令されるつもり、ないです」
「私はお前を必要としているのだ」
まるでヴァン・グランツに必要とされることが誉だとでも言わんばかりの口調のヴァンに、アリエッタは眉を寄せ、掴まれた腕を振り払う。
確かに、ダアトの兵の中には、カリスマと名高いヴァンに必要だと言われれば、喜ぶ者もあるだろう。だが、アリエッタは違う。アリエッタがそう言ってもらえて嬉しかった人はもういない。
「仕事あるので、失礼します」
アリエッタは身に纏っているファブレ邸のメイド服の裾をこれ見よがしに翻し、ヴァンに背を向ける。自分はもうローレライ教団に所属する身ではないと誇示するために。
ヴァンはこれまでにも、ローレライ教団での地位と権力を用い、何度となく、ファブレ邸に押しかけていた。ルークに剣の稽古をつけるという名目のもとに。
相手が大詠師の覚えのめでたい謡将となれば、ファブレとしても蔑ろにするわけにもいかず、渋々ながら、ヴァンの訪問を受け入れている。ヴァンの表立っての評判はよく、断るだけの理由がないのだ。
ルーク誘拐の罪を明らかにすれば、ヴァンを捕らえることは可能だが、わざわざレプリカを作り出してまで、『聖なる焔の光』を手に入れようとしたヴァンの目的を探るために、今はまだその罪に目を瞑っていなくてはならない。
もどかしさに、公爵夫妻やアリエッタ、事情を知る王や白光騎士団長、ラムダスなどは苛立ちを覚えている。約束を思い出すよう、ルークへと強要する態度から、事情を知らされていないナタリアは、ヴァンを無条件で好人物だと見なしているが。
キムラスカ領土内で何かしら罪を犯すという失態を見せてさえくれれば、捕らえ、拷問に掛けることも出来るのだが、という公爵夫妻の呟きに、インゴベルトがいつでもそれに応じられるよう、新しい拷問器具を取り寄せたという話を知ったら、ヴァンはすぐにでもキムラスカから逃げ出すことだろう。
「アリエッタ!」
「ッ」
強く肩を掴まれ、アリエッタは眉を寄せた。きろりとヴァンを睨む。ヴァンが宥めすかすように笑んだ。
「私とともに来なさい、アリエッタ。前にも言っただろう?お前の愛しい『イオン』をお前にやると。『フェレス島』でともに暮らせばいい。欲しいだろう?」
カッ、と頭に血が昇る。イオン様は、もういないのだ。フェレス島だって、ホドとともに沈んでしまった。ヴァンはレプリカをやる、とそう言っているのだ。
(違う、のに!)
レプリカと被験者は違う。偽物と本物という違いではない。どちらも本物だ。
そして、どちらも本物だからこそ、違うのだ。ルークとアッシュが違うように。ルークとアッシュが、それぞれ己の道を生きているように。己の心を持っているように。
ヴァンは自分を侮り、そして、レプリカも侮っている。レプリカに被験者の役割を押し付け、レプリカを否定しているのだ。レプリカを一人の『人間』として、認めようとしない。
その考えのあり様に、アリエッタは吐き気すら覚えた。
ヴァンの手を叩き落し、下から殺気を込めて睨みつける。ヴァンが戸惑うように、視線を揺らす。
「レプリカをそれ以上侮辱するなら、アリエッタ、許さない」
「な…」
アリエッタの拒絶に、ヴァンの目が怒りに燃える。己の思い通りにならないアリエッタに、怒りを覚えているのは明白だった。
アリエッタもまた、緋色の瞳を怒りに燃やし、ヴァンと対峙する。
「あら、アリエッタ?どうしたの?」
ひょい、と廊下の角から顔を出した先輩のメイドに、アリエッタはふ、と息を吐いた。ヴァンもまた、怒りを収め、メイドに人のよさそうな笑みを向けている。
メイドは訝しげに眉を寄せながらも、何も言わなかった。
「それでは、私はルークの剣の稽古があるので、失礼する」
「……」
何事もなかったように、アリエッタの横を通り抜け、中庭に向かうヴァンの背を、アリエッタは睨み付ける。事情を知っている、昔からファブレに仕えているそのメイドがアリエッタに歩み寄り、アリエッタの眉間をちょん、と突いた。
「皺になっちゃうわよ、アリエッタ。…タイミング、よかったみたいね」
苦笑する彼女に、アリエッタは眉間の皺を緩め、頬を赤らめる。こんなところで騒ぎを起こせば、ルークを心配させ、公爵に面倒を掛けてしまうところだった。
ありがとうです、と礼を言い──ふと、口を噤んだ。今、何か聞こえなかっただろうかと、きょろきょろと見回す。
「今、何か…」
側にいるメイドへと振り返り、アリエッタは息を呑んだ。彼女はぐらりと身体を揺らし、床に倒れこんだのだ。慌てて駆け寄り、具合でも悪くなったのかと確かめる。すれば、彼女は寝息を立てていた。
「これ、って…」
困惑しながらも、アリエッタは周囲の状況を確かめる。廊下の先から、ガシャガシャと金属音が崩れるような音が聞こえてきた。おそらく、白光騎士の一人が彼女と同じく眠りに落ちたのだ。
でも、何故、こんな。
「う、た?」
どこからか、流麗な歌声が聞こえてくる。これは、まさか譜歌だろうか。以前、聞いたことのある音律師が奏でる旋律とは違うが、この独特な歌詞は間違いない。
「ルーク、様…!」
自身もまた、強烈な睡魔に襲われながら、足を進ませる。中庭に、ルークのところに向かわなくては。
侵入者から、ルークを守らなくては。
アリエッタは袖の中に隠し持っているナイフを滑らせて取り出し、躊躇うことなく、左手で握った。鋭い刃が手のひらに食い込み、指の間から血が絨毯へと滴り落ちる。
食いしばった歯の隙間から呻き声混じりの息を吐き、痛みに耐える。鋭い痛みはアリエッタの白く澱みそうになる意識を覚醒させた。
「ルーク様!」
廊下を駆け抜け、中庭に飛び出す。アリエッタの思考を占めるのは、ルークのこと。失いたくないと、強く思う。ルークに何かあったら。ぞわりとアリエッタの背を悪寒が走りぬけ、肌が粟立つ。
イヤ、イヤ、絶対にイヤ!
二度と大切な人を、失いたくなどない…!
守らねばと朱色を探す。血の気が引き、顔を紙のように白くしたアリエッタの目に、朱色が映った。
「ルーク様ぁ!」
栗色の長い髪の女が、何事か叫んでいる。女が持つ槍のように穂先がついた杖は、ヴァンへと向かっていた。
女の狙いがルークでないことに僅かにホッとしつつも、アリエッタはルークへと駆け寄る足を止めない。
ルークは膝をついていた。頭をぶるぶると振り、呻いている。
譜歌による強烈な睡魔は、ルークをも襲ったのだろう。他に怪我などしていないか、不安を募らせながら、アリエッタは女とヴァンの横を駆け抜け、ルークの前にしゃがみこんだ。
「大丈夫ですか…?!」
悲鳴じみた声をあげ、ふらつくルークの肩を両手で支える。左手を傷つけていることを思い出したときには、ルークの白い服にじわりと血が染みていた。
赤い赤い真っ赤な血。
「アリエッタ、何が…、お前、怪我、して」
見る間にルークの顔から血の気が引いていく。アリエッタは自分ならば大丈夫だと笑み、立ち上がると、庇うようにルークの前に立ち、譜術を唱えだした。
「ビッグバン!」
詠唱を終え、完成した術が真っ直ぐに女を襲う。味方識別を行っていないヴァンにも術の範囲は及ぶが、女の狙いがヴァンであるならば、この騒動はヴァンが原因であるということだ。アリエッタはヴァンを巻き込むことを躊躇わなかった。
どんな理由があろうと、この襲撃の原因を担ったのならば、許すわけにはいかない。ルークまで失うかもしれないという恐怖が、アリエッタの心に刻み込まれ、身体を戦慄かせていた。
「きゃあ!」
「ぐぅっ」
アリエッタの不審を煽るだけだと気づかずに、どういうわけか女に対して攻撃を渋り、防戦一方だったヴァンは、女とともにアリエッタの攻撃から逃れ損ね、中庭に伏した。女はどうやら気を失ったらしく、うつ伏せに倒れたまま、動かない。
緋色の目が、女が纏う服がどういうものであるかに気づくと、見開かれた。
「神託の盾騎士団の、軍服…?」
まさか、と思ったが、どうやら本物らしい。アリエッタは言葉を失う。
軍服を着ているということは、女は教団の関係者だということだ。
(任務って、こと?)
女が教団から服を盗み、ファブレ邸襲撃を教団の責任と見せかける目的があったとすれば別だが、本当に神託の盾騎士団に所属している身だとすれば、女は任務でファブレ邸に侵入し、ヴァンを襲撃したということになる。
ダアトはキムラスカと戦争を起こすつもりなのか。
ルークが身体を起こすのを手伝い、アリエッタは困惑の視線を女に、そして、気を失うまでには至らず、起き上がるヴァンに向けた。
ヴァンが一瞬、アリエッタを睨みつけ、離れたところに倒れている女へと近寄っていく。
「ティア…。何故、こんな真似を…」
困惑と苛立ちの混じるヴァンの言葉に、アリエッタは記憶を探った。ティア。どこかで聞いたことがある。
「…ヴァン師匠、そいつ、知ってるのか?」
アリエッタの手の傷に顔を顰めながら、ルークがまだ血の気が引いたままの顔でヴァンに問う。ヴァンが、ああ、と頷いた。──無防備にも、あっさりと。
「私の妹だ」
思い出した、とアリエッタは小さく呟いた。ティア・グランツ。ヴァン・グランツの妹で、音律師としての才能は悪くはないと聞いたことがある。
だが、それだけだとも、聞いたことがある。軍人としての素養はなく、自身の身勝手な正義に固執し、それに反するものはすべて間違っていると判断するエゴの塊のような女だと、以前、唾棄するように同僚が言い捨てていた。
「…いもう、と」
ぐるる、とアリエッタの背後でライガが唸る声がした。アリエッタはヴァンを睨みつけ、ライガに合図を送った。
すなわち、ヴァンを捕らえる合図を。
ライガが地面を力強く蹴り、優美な身体を躍らせ、ヴァンに飛び掛った。自分が押さえ込まれるなどと、爪の先ほども考えていなかったらしいヴァンは、拍子抜けするほどあっさりとライガの巨躯に押さえ込まれた。
「何のつもりだ、アリエッタ!」
怒鳴るヴァンの胸を僅かに爪を出し、捕らえることを目的とし、押さえ込むライガの左の前脚には、アリエッタと同じく血が滲み、金色の体毛を赤く汚していた。彼女もまた自分と同じことをしたのだと、アリエッタは痛む左手を握りこむ。
襲い掛かる睡魔から逃れようと、己の前脚を噛んだのだろう。
ルークが呻き、悔しげに唇を噛み締めた。
「ルーク、お前からも何とか言ってくれ!」
「…何を?何を言えって言うんです、師匠。その女が妹だと言ったのは、師匠です」
「確かにそうだが、何故、私をこんな目に合わせる必要が…」
「神託の盾騎士団が誇るカリスマとは言っても、所詮は若輩者か」
凍て付いた声音とともに姿を見せたのは、セシル将軍を従えたクリムゾンだった。頬が紅潮し、息が上がっている。顎の先から、汗がぽたりと滴り落ちた。
知らせを受け、文字通り、登城していた城から飛んで帰ってきたのだろう。
翠の目が、怒りに燃えていた。
「ここがどこだかわかっているのか、ヴァン・グランツ」
ライガに押さえ込まれるヴァンを睥睨する公爵の唇の端に、嘲笑が滲んでいる。公爵として、王族の一人として、怒りを露わにするクリムゾンから目を逸らすことなく、一部始終に耳を傾けるルークの姿を、アリエッタは見つめた。
ルークは、自分がレプリカと呼ばれる存在であることを知っている。ルークが十七となったときに、アリエッタを交え、公爵が夫人とともに教えたからだ。レプリカのこと。アッシュのこと。イオンのこと。秘預言のこと。
自分は人間じゃなかったのかと、最初、ルークは酷い混乱を示した。それをなだめたのは、アリエッタだ。
レプリカだろうと、なんだろうと、自分が知るルークは、ルーク一人。
守りたい思うルークは、今、目の前にいるルークだけだと、暴れるルークを抱きしめ、アリエッタは言った。
たとえ、レプリカであろうと、今まで頑張って生きてきたルークが変わるわけではない。ルークはルークなのだ。
落ち着きを取り戻したルークに、公爵夫妻も揃って言った。ルークのことを息子として愛している。ルークが嫌ではないなら、これからも息子でいて欲しい、と。
泣いて頷いたルークに、二人はなお続けた。レプリカとして生まれた命を厭わないで欲しい。レプリカであるからこそ為せることもあるのだから。己の命を誇りに思って欲しい。そう、続けた。
そして、今、ルークはいずれ帰ってくるアッシュが王となったとき、公爵家を継ぐ者として、公爵としての在りようを学ぼうとするように、父を見つめていた。
幼いとばかり思っていたルークの横顔に宿る決意に、アリエッタの心臓がとくりと跳ねた。知らぬ間に大人になってしまったようで、一抹の寂しさと切なさが、アリエッタの小さな胸に過ぎる。
「ここは、ファブレ邸。住まうのは、第三王位継承者であるルークであり、王妹であるシュザンヌ。わかるか?ここは王族の屋敷だ。そんな屋敷に見張りを譜歌で眠らせ、侵入した者が、その者の命だけで罪を贖えると思うのか?」
やっと自分までもが捕らえられている理由を悟ったらしいヴァンの顔が青ざめる。救いを求めるように、首を捻り、ルークを見たが、ルークは応えようとはしなかった。ヴァンの顔が絶望に染まる。
公爵が愉しげに唇を吊り上げた。
「連れて行け」
「はっ!」
ライガが脚をどけ、眠りから覚めて駆けつけた白光騎士団によって、ヴァンは消沈した表情でティアとともに連行された。向かう先は一つ。城の地下深くに作られた、拷問部屋。
クリムゾンがくく、と低く笑う。
「あの妹とやらには感謝せねばな。おかげでいい口実を得られたのだからな。しかも、ダアトの軍服つきだ。存分に利用させてもらおうか」
呟かれた独り言に、白光騎士団長が頷き、二人は愉しげな笑みを零した。
「ルーク、怪我はないか?」
「はい。母上や使用人たちは…?」
「ああ、彼らも無事だ。幸いにもな。まったく、譜歌などと…。あの女の他に侵入者がいなくてよかった」
「ええ、本当に…」
つかの間とはいえ、無防備な状態を晒していた隙を突かれていたらと思うと、アリエッタはルークや公爵とともに顔を顰め、浅はかな女への嫌悪を強める。
誰も、口にするのも憚れるほどの拷問に晒されるだろう女へと同情を寄せる者はいなかった。
「父上、どうか、騎士団と使用人たちへの処罰は…」
「まったくない、というわけにはいかないぞ、ルーク。だが、被害もなく、譜歌は特殊なものだからな。考慮しよう」
「はい」
去っていく公爵の背を見送り、ホッと息を吐くルークに、アリエッタは強張っていた頬を緩めた。優しいだけでなく、厳しさを持つことも忘れないルークはきっとよい跡取りになる。そのことが、誇らしい。
「アリエッタ、手、出せ」
朱色の髪を翻し、自分へと視線を落とすルークに、きょとんと瞬き、両手を差し出す。左手だけでいいよ、と苦笑するルークに薄っすらと頬を赤らめ、右手を引っ込めれば、左手をそっと両手で包まれた。
「ルーク様、血で汚れちゃう…!」
「いいから」
ぶつぶつと、ルークが口の中で何かを唱えだした。緋色の目を大きく瞠る。
やがて、アリエッタの左手をぽぅ、と光が包み込み、仄かな熱が傷を癒した。
「治癒…術」
「うん、母上に習ったんだ。あんまり酷い傷は、まだ治せねぇけどさ。これくらいなら、ちゃんと治せるようになったんだ」
「……」
いつのまに、とアリエッタは言葉を失う。いつのまに、覚えたのだろう。
それに、手も。手も、いつのまに、これほど大きくなったのだろう。
心臓がどくどくと脈打つ速度を上げていく。アリエッタは内心、戸惑いを覚えた。
「あっちの傷も治してやらなきゃ。…なぁ、アリエッタ」
「あ、は、はい」
「本当は俺のために怪我なんかすんなって言いたいけど、それ言ったら、アリエッタ、困るよな。俺を守るのが、仕事だから」
「…はい」
「うん、だよな。…だから、さ。怪我すんなって言えないけど、せめて、その傷を治すくらいは、許してくれよ」
「ルーク…様…」
照れくさそうに赤く染まる頬を掻き、目を逸らすルークに、アリエッタは自身の頬も熱くなってくるのに気づき、狼狽する。
主の手を煩わせるなんて、と思うのに、嬉しいという気持ちが湧いて止まらない。
(どうしよう…どうしたら、いいですか、イオン様)
アリエッタ、ルークの、こと。
ライガにも治癒術を掛けようと、離れていくルークの朱色の髪を見つめ、アリエッタは傷が癒えた左の手のひらを見つめた。温かな治癒術の光よりも、もっと温かかった、ルークの手。
きゅ、と左手を右手で包むように握りこみ、アリエッタはそっと唇を押し当てた。
END
次で最終話です。
やっとここまで来た…。
次は、時間軸が飛びますー。
ちなみに、ライガクイーンは何ともないありません。森が燃えていないので。
何でミュウはライガクイーンが住み着いているような森で炎を吐く練習してたのか、ふと疑問に思ってしまったので、今回はクイーンの問題はないということで…。
最高と言って頂けるとは…!アリエッタへの私的な萌をがっつりと詰め込んだのですが、アマエさんに萌えて頂けてよかったですーv
ルークはアリエッタへの想いとともに、周囲に支えられて成長しました。クリムゾンパパはいろいろ開き直りました(笑)
次の話でラストですが、番外編でメイドなアリエッタとルークの話をちょこちょこと書いていこうと思っていますので、そちらも楽しんで頂けたら幸いですー。
5万HIT企画へのリクもありがとうございました!ばっちり承りました。頑張りますね!