月齢
女性向けブログ。ネタ語りや小説など。ルーク至上主義。
ほとんど目の前にあるかのように近い月に、アッシュは目を瞠った。星も手が届きそうなほど、すぐ側で煌いているように見える。
足元に広がるのは、キラキラと煌く音素の川だった。そのさらに下には、雲がたなびき、大地が遠く広がっている。
これは夢か、とアッシュは目を瞠った。そうでなければ、音譜帯になど立てるわけがない。
「父さん!」
背後からかけられた声に、アッシュは振り返った。音譜帯を、子どもたちが我先にと駆けてくる。
ここどこ?お空の上?!すごいね!
口々に叫ぶ子どもたちの顔は上気し、興奮していた。慎重なシンクやカノ、臆病なところがあるウインは不安そうにしているかと思ったが、そんなことはないらしい。ルーシェやフローリアンに負けじと瞳を輝かせている。
どうやら、全員が全員、夢だと思っているようだ。
(それもそうか)
現実に、こんなことが起こるわけがない。だから、今、腹に抱きついてきているルーシェやフローリアンも、夢の中で、ただ自分が思い描いているだけなのだろう。
皆が皆、酷く現実めいた表情をしているが、子どもたちの夢を見るのは初めてではない。
子どもたちにすごいな、と答えてやりながら、アッシュはふと思った。ここが夢ならば──。
「…アッシュ」
ルークが姿を見せないだろうか、と。
どくり、と心臓が跳ねる。夢の中だというのに、跳ねる鼓動の音にも現実感がある。
実際に、耳元で鳴り響いているかのようだ。
「……」
アッシュはごくりと唾を飲みこみ、ゆっくりと振り返った。子どもたちが揃って声の主へと顔を向け、きょとん、と目を丸くしている。
全員、本物の兄弟のように、よく似た表情をしていた。
「…ルー…ク?」
アッシュの唇から漏れた名に、カノが訝しげにアッシュと朱色の髪をした青年を見比べる。物問いたげな視線に、応えてやらなければと思ったが、そんな余裕は今のアッシュにはなかった。
煌く音素の川に立つ半身から、目を逸らせない。
「本当に、お前なのか」
ルークが静かに微笑み、頷く。ああ、とアッシュの口から陶酔にも似た呻きが漏れた。
夢の中だけでも会いたいと、何度望んだことだろう。
願望は確かに、夢となった。けれど、夢の中のルークはいつも哀しそうで、苦しそうで──笑ってなどくれなかったのに。
だが、今、目の前に立つルークは、確かに微笑んでいた。優しく、柔らかく、アッシュを、そして、子どもたちを愛しげに見つめている。
「ええ、と…だ、誰、なんですか?何で、父さんや俺たちに似てるの…?」
アッシュが言葉を失い、こみ上げてくる歓喜に陶然としている中、真っ先にルークへと話しかけたのは、ルーシェだった。そんなルーシェにルークが目を向け、にこりと笑う。
ルーシェがたじろぎ、アッシュの服の裾をきゅ、と握った。
「君が、ルーシェだよな」
「そ、そうだけど…何で」
「みんなのことも知ってるよ。カノにウイン、シンクにフローリアン!」
「何故、僕たちのことを…?」
不思議そうに首を傾ぐウインへと、ルークの視線が移る。
その翡翠の目に、一瞬、懐かしさと悲しみが過ぎったことに気づいたのは、アッシュだけだった。これは本当に夢なのか、と疑いを抱く。
それほどに、ルークは生きているように見えてならない。
そう思うのに、アッシュは足を踏み出せなかった。近づいたら、すべて消えてしまうのではないか。ルークはたちまちに消えて、一人、ベッドで目が覚めるのではないか。そんな気がして、前に進めない。
今すぐ、ルークに触れたかった。抱きしめたかった。それでも、足が竦んだ。
「みんなのことを、見守っていたからな」
「見守って…?」
「うん」
こくりと頷き、ルークがス、と足を踏み出した。ゆっくりと近づいてくるルークから、アッシュは目を離せない。
子どもたちが、父さん、と不安そうにアッシュの服や手を掴んでくる。大丈夫だと言ってやりたいのに、声が出なかった。
「アッシュ」
「……ッ」
「みんな、いい子たちだね。ずっと、見てたんだ」
ありがとう、と微笑むルークの手が、頬へと伸びてくる。優しく頬に触れる手に、アッシュは息を詰めた。
毛先にいくにつれ、金色へと変わっていく朱色の長い髪をたゆたせ、手が届くところで、ルークが笑んでいる。
「ルーク…ッ」
叫ぶように言い、アッシュは衝動のままに、両手でルークの身体を抱き締めた。ルークの身体との隙間を少しでもなくそうと、きつくきつく腕の力を強める。
今、自分がいるのが、夢なのか、現実なのか。もうどちらでも構わなかった。ルークを抱き締められる。感じられる。それだけが幸せで。幸せでどうしようもなくて。
苦しいよ、アッシュ、とルークが苦笑した。耳元で聞こえる声が、懐かしい。──そう思ってしまうことが、哀しかった。
「父さん…?」
「お父さん!」
戸惑う子どもたちの声には、不安が混じっている。アッシュは息を吐き、腕を緩めはしたが、ルークの背に手を当てたまま、子どもたちに目を向けた。
そうだな、と目を細め、束の間、逡巡する。
興味深そうなルークの視線を間近に感じる。自分のことをどう紹介するつもりなのか、気になっているのだろう。
「名前はルーク。──俺たちの家族だ」
家族の言葉に、ルークの翡翠の目の縁に、涙が滲む。それを瞬きで払い、ルークは満面の笑みを子どもたちへと向けた。
よろしくね、と言葉を添えて。
子どもたちが顔を見合わせあい、アッシュとルークを見比べ──二人が浮かべる笑みに大きく頷いた。
*
楽しそうな笑い声が、音譜帯に響き、夜空へと抜けていく。音譜帯をルーシェたち子どもたちが歓声を上げて駆け抜け、ルークやアッシュがそれを追う。
全員の顔に浮かぶのは、笑みだった。疲れも忘れ、ただただ笑みを零し、家族はじゃれあった。
捕まえたウインを抱き締め、ルークが声を上げて笑う。常ならば、人見知りをするウインも、ルークにはすぐに懐いた。
今も、嬉しそうな顔でルークの腕の中に収まっている。『イオン』がついぞ浮かべたことがないほど、屈託のない眩いばかりの笑みが、ウインの顔には溢れていた。
「ウイン、ずるーい!」
僕も!と鬼ごっこをしているのも忘れ、フローリアンが自ら、鬼であるルークに飛びついた。それじゃゲームにならないじゃないか、とシンクが呆れ顔で肩を竦めるが、口の端に笑みが滲んでいることを、アッシュは見逃さなかった。
シンクもまた、ルークに心を許しているのだ。シンクだけではない、カノやルーシェも同じだ。
三人は視線を交わし、ルーシェがにんまりと唇を吊り上げた。カノが苦笑し、シンクがため息を零す。
そして、三人が揃って駆け出し、ルークに抱きついた。うわ、と声をあげ、ルークの身体が背後によろめく。
それを笑って、アッシュは抱きとめた。
家族全員くっついて、これでは団子だな、とアッシュの目は柔らかく弧を描く。
「重いだろう、ルーク」
「うん。でも、これが幸せの重みってやつだろ」
嬉しいなぁ。
しみじみと、ルークが呟く。幸せそうに幸せそうに、心底、幸せそうに。
これからは、何度だって味わえる。そうだろう?
アッシュは問う。震えそうになる声を叱咤し、切実な願いを込めて。
ルークは答えなかった。ただ目を細めて、笑っているだけだ。
フローリアンが、一緒がいいな!とルークを見つめ、笑んだ。
僕もルークと一緒がいいです、とウインが微笑し、続け。
一緒でもいいよ、とシンクも照れくさそうに後を追う。
俺も、もっとあなたと一緒がいい、とカノがおずおずと口にして。
最後に、ルーシェが、一緒にいようぜ!とルークの手を握り締めた。
「…そうだ、一緒がいい」
アッシュは、ルークの背中を支えていた手を、ルークの腹へと回した。
離したくない、離すものか。
ルークが困ったように笑い、空を見上げた。
少しずつ白みがかってきた空を。明けていく空を。
一度、ゆっくりと瞬き、ルークが穏やかな笑みを唇に刷いた。
「…ウイン、シンク、フローリアン」
導師イオンのレプリカとして生まれた三人を順繰りに見やり、今度こそ、三人仲良く幸せにね、と微笑み。三人の額に、ルークがそっと口付けを落としていく。
キスが落ちた順番で、ぱちんっ、とシャボン玉が弾けるように、ウインたちが消えた。
アッシュは、ぐ、と腕の力を強めた。ルーク、と懇願するように呼ぶ。
けれど、ルークはやはり答えず、今度は両手を伸ばし、カノとルーシェの頭を撫でた。
「カノとルーシェも、仲良く…どうか何にも縛られずに幸せに」
ルークが込めた願いに、アッシュの身体が震える。ああ、どれほどのものに縛られ、自分たちは死んでいったのだろう。脳裏を過ぎる『過去』に、アッシュの喉奥から呻きが漏れる。
預言に、世界に、人の思いに縛られて──自分とルークは。…ルーク、は。
一緒に、と希う二人の額にも、ルークは口付けを落とした。
パチンッ。二人の姿も、消える。
残されたのは、縋るようにルークを抱き締めたアッシュだけだった。
「…ルーク」
「アッシュ」
「俺は、俺はもう…もうお前を失いたくは…!」
「アッシュ」
ス、とアッシュの唇を、ルークの指先が塞いだ。愛しげに翠の目を細め、ルークが緩く首を振る。
アッシュの頬に自身の頬をすり寄せるルークの目が、ゆるりと閉じた。
「これは夢だよ、アッシュ」
「……」
「一夜の夢だ。俺は、アッシュたちとはいられない」
「…何故だ」
「今ここにいる俺は、アッシュの想いと、『過去』までローレライが連れてきてくれた、僅かに残った俺の音素とが結びついた、幻みたいなものだから。…この一夜しか存在できないんだ」
嫌だ、とアッシュは頑是無い子どものように首を振る。ルークが自分の手を、アッシュの手へと重ねた。温かい手だった。
こんなに確かなぬくもりがあるのに、幻だなんて、そんなこと。──ああ、そんな。
「ごめんね、アッシュ。本当は会わない方がいいと思ったんだ。思った、けど、会いたかったんだ。ルークって、呼んで欲しくて、あの子たちの名前を呼びたくて。アッシュの名を、もう一度だけ、呼びたくて。だから、たった一夜でもいいから、あとは消えてしまってもいいから、ってローレライに無理言ったんだ。我が侭で、ごめんな、アッシュ」
「ルーク」
「俺はまた音素の欠片に砕けて、今度こそ、意思も何もなくなってしまうけど…だけど、見守ってるから。アッシュやみんなのこと、見守ってるよ」
大切な家族を、見守っているから。
微笑むルークに、言葉が出ない。
言わねばならぬことがあるのに、きっとあるのに、声にならない。馬鹿みたいに、ルークの名を繰り返すことしか、出来ない。
「ルーク…ッ」
「うん、ありがとう。…大好きだよ、アッシュ」
どうか、幸せに。
首を曲げ、ルークがアッシュの唇に自分のそれを近づけて。
パチンッ。
アッシュの意識は、そこで弾けた。
*
バチンッ。
アッシュは目を開けた。呻きを喉奥で抑え、必死で夢の残滓を探す。
ルーク、ルーク。名を繰り返し、起き上がる。
けれど、そこは見慣れた寝室で、ベッドの上で。窓からは、朝日が差し込み始めて、いて。
「…あ」
夢は終わったのだと、アッシュは呻いた。頭を抱え、ベッドに蹲る。
涙が溢れ、頬を濡らし、顎から滴り、シーツを濡らした。
嗚咽が途切れなく、喉から漏れ出す。
「父さん!」
バタバタと、廊下を駆けてくる子どもたちの足音がした。泣き止まなければ、とぼんやりと霞がかったような頭で思う。
その間も、涙は止まらず、流れ続けて。
「父さ…」
アッシュの寝室の扉を開けたルーシェが、目を見開き、動きを止めた。
どうしたんだ、とカノがひょこ、と横から顔を覗かせ、同じく、固まる。
僕たち、同じ夢見たんだ!とそんな兄二人に気づかず、フローリアンが無邪気な顔を覗かせ、首を傾げた。
「お父さん…?」
どうして泣いてるの?
初めて見た父の泣き顔に、フローリアンの目にたちまち涙が溜まった。末っ子は、お父さん、泣かないで、とルーシェたちを押し退け、アッシュへと駆け寄り、抱きついた。
「フロー…リアン」
ルーシェやカノ、後から駆けてきたウインやシンクも、そろそろとアッシュへと近寄ってくる。
涙を止めて、安心させてやらなければ。思いばかりはあるのに、身体は言うことを効かない。
涙が、止まらない。
滲んだ視界で、子どもたちの目も潤んでいく。
「…ただの夢じゃ、なかったの?」
「……それは」
「ルークは、…一緒に、いられ、ないの?」
「……」
家族なのに、とルーシェがひく、と喉を引き攣らせた。ルーシェが呼び水となり、全員の頬に涙が落ちる。
アッシュは腕を広げ、子どもたちを抱き寄せた。
「ルークは…側に、いる」
もう一緒に遊ぶことも、笑いあうことも出来ないけれど、側で見守ってくれている。
目を閉じて、音素を感じてごらん、とアッシュは涙を流したまま、微笑んだ。
「お前たちは第七音素に愛されている。だから、世界を流れる音素に、どこにいても、きっとルークを感じられるはずだ」
そうだろう、ルーク。
泣きじゃくる子どもたちをしっかりと抱き締めながら、呼びかける。
もう夢の中でルークが泣くことはないだろう、とふと思う。
微かな笑い声が、カーテンの隙間から差し込む日の光に乗って、耳を擽った気がした。
END
アッシュは割りと好きではなかったのですが、
もう、このお話を読んでそんな思いが空の彼方に吹っ飛ばされました。
ルークが切なくて、でも、優しいというか、言葉では言い表せられないくらいの思いがあふれ出てきました。
これからも応援しています。日参します!
初めてで、こんなに乱文をさらしてしまい申し訳ありません。
乱文なんてとんでもない。素敵な感想をありがとうございます!
この話は泣きました、という方が多いようで…。アッシュのことを好きになるきっかけになれたなら、何よりです。
お互いにお互いを深く優しく思いあっている二人を感じて頂けたなら嬉しいです。
これからもお暇なときにでも、遊びに来て頂ければ幸いですv
コメント、ありがとうございました!