月齢
女性向けブログ。ネタ語りや小説など。ルーク至上主義。
ファブレ邸の中庭で、婚約者である王子とその妹の三人で、お茶を飲み交わす愛娘を廊下から見やり、シュザンヌは柔らかな微笑を浮かべた。目尻に、穏やかな皺が寄る。
嬉しそうだな、シュザンヌ、とクリムゾンが微笑ましそうに妻に寄り添った。
「素敵だと思いません?」
「あれか」
「ええ、あれですわ」
何を話しているのかまではわからないが、子どもたちは何やら楽しそうに騒いでいる。これからのキムラスカを担う若き少年少女たち。
見ているだけで、笑みが浮かぶのがわかる。
──クリムゾンの場合、複雑そうに眉間の皺も増えているが。
「あらあら、あなた。また眉が寄っていますわよ」
「む」
「アーシェとナタール殿下の仲がよいのは、よいことではありませんか」
「いや、しかしだな。くっつきすぎではないか?婚約者同士とはいえ、まだ結婚前の男女なのだぞ。もう少し慎みというものがだな」
「何を古臭いことを仰ってるんです。さ、私たちもあちらでお茶に致しましょう」
だが、とまだ諦め悪く言い募るクリムゾンの腕に自分の腕を絡め、シュザンヌはさっさと歩き出した。うむぅ、と唸りながらも、クリムゾンも仕方なく歩き出す。
その目は、愛娘に未練がましく向けられているが、シュザンヌがきゅ、と手の甲を抓ると、ため息交じりに前を向いた。
背後では、子どもたちの笑い声が響いている。
*
──とはいっても、微笑ましいのは端から見れば、の話である。
実際には、ナタールの顔に浮かんでいるのは引き攣った笑みであり、アーシェとメリルの顔に浮かんでいるのは、ナタールを巡り、互いに互いをけん制しあう笑みだった。
助けて、とナタールは視線をあちらこちらへと向ける。が、向けるたびに、サッとメイドや白光騎士たちは顔を逸らし、救いがもたらされる可能性は、限りなくゼロに近かった。
どいつもこいつも!とは思うが、確かに、この二人が相手では、仕方ないか、と諦めの笑みが、ナタールの唇に滲む。
ああ、ヴァン師匠が来てくれれば、とそんな儚い願いを抱くが、彼の人は今はローレライ教団で忙しなく働いている。来訪の予定は、残念なことにあと二週間はない。
「さ、お兄様。お口を開けて下さいませ。ケテルブルクから取り寄せた、最高級のザッハトルテですわ。お兄様、甘いものはお好きでしょう?」
「それなら、こっちのパイの方が美味いぞ、ナタール。エンゲーブから取り寄せた最高級のサクランボを使って作ったパイだからな。お前好みの甘さで作ったんだ。ほら」
フォークに刺さったチョコレートケーキと、チェリーパイ。
二つを二人の少女にそれぞれ突き出され、ナタールは頬を引き攣らせる。
ちら、とメリルとアーシェの視線がかち合った。パチッと火花が散ったように見えたのは、きっと気のせいではないに違いない、とナタールの顔から血の気が引いた。
(微笑ましいだの、両手に花で羨ましいだの思っている奴は、今すぐ俺と代わりやがれ…!)
美少女二人に囲まれていようとも、漂う緊張感で胃が痛くなってくる気がしてくる。今なら、女性に囲まれ、呻いていたガイの気持ちがわかる。あのころは、呆れるばっかりでゴメンな、ガイ、と心の中で、そっと謝る。今はマルクトで伯爵として頑張っているから、届くわけもないが。
ナタールは二人に向かって、にこ、と愛想笑いを浮かべた。が、二人はさらにぐ、とフォークを突き出してくるだけだった。浮かんでいる笑顔が怖い。
逃げられないらしい。となれば、問題はどちらから先に食べるか、だ。
(…うう)
アプリコットジャムの香りが混じった濃厚なチョコレートの匂いを漂わせている、ザッハトルテをにこにこと華やかな笑みを浮かべて突き出しているメリルは、血の繋がりこそないものの、大切な妹だ。
『ナタリア』と呼ばれていた自分の記憶にある少女と同じ存在ではあるが、メリルの方が片意地を張らずに楽に呼吸をしているように、ナタールには思える。おそらく、メリルは自分がダアトを欺くための仮の王女であることを知っているからだろう。
ナタリアと違い、王族の蒼き血に対するこだわりや、髪の色や目の色に対するコンプレックスがない分、周りを見る余裕があるのだ。
メリルを慕う民の声は多く、ナタールはすべてが明るみに出た後も、メリルにはキムラスカのために、何より彼女自身のために、側で王となった自分を支えて欲しいと思っている。キムラスカ初の女性大臣となって。
だから、本当に大切なのだ。妹としても、これからともにキムラスカを支えていく逸材としても。
(で、アーシェは)
さくさくのパイ皮で包まれた、甘酸っぱい匂いで鼻腔を擽ってくるサクランボフィリングのパイを、にっこりと艶やかな笑みで突き出しているアーシェは、大切な大切な婚約者だ。
掛け替えのない、人だ。半身。そんな言葉が、しっくりと当てはまる。失いたくないと、強く思わずにはいられない。
アーシェもまた、自分のことをそういう存在として想ってくれていることを、ナタールは知っている。
何しろ、アッシュであったころの記憶を見ているのだから、疑いようがない。それに、アーシェとなって再び、この世界を繰り返すようになってからは、そういった感情をまったく隠さずに伝えてくるから、なおさらだ。
燃えるような紅い髪。意思の強さが煌く翡翠の目。勝気な微笑。どれもが、愛しい。
口に出すには気恥ずかしくて、直接、伝えたことはないけれど。
アーシェにはいつまでも側にいて欲しい、とナタールは思っている。そのためにならば、どれほど苦しい茨の道であっても、歩み通してみせる覚悟も出来ている。
世界のため、何より、アーシェとともに生きるために、預言を覆し、幸せになるのだ。今度こそ、幸せに。
ナタールはケーキとパイを見比べ、よし、と一つ頷くと、二人の手首を掴んだ。
え、と目を丸くするアーシェとメリルに構わず、引き寄せる。
パックン。
大きく口を開け、ナタールはケーキとパイの二つを口に入れた。
チョコレートの甘さとサクランボの甘酸っぱさが、舌の上で混じり合う。しっとりとしたスポンジとさくさくのパイが混ざった食感は微妙だったが、味は悪くないな、ともごもごと口一杯のケーキとパイを、何とか噛み砕いていく。
呆気に取られた少女が二人、顔を見合わせ、噴出した。
「ずるいな、ナタール」
「アーシェの言うとおりですわ」
くすくす笑いながら、アーシェとメリルが揃って、ナタールをなじる。二人は可笑しそうに目を細めているので、怒っているわけではないらしい、と少しホッとしたところで、喉が詰まった。
さすがに、二つを纏めては無謀だったらしい。ごほごほっ、と咽るナタールに苦笑を零し、アーシェが紅茶を注ぎ足し、メリルがハンカチーフを手渡した。
紅茶を飲んで喉に詰まったケーキたちを押し流し、ハンカチーフで口を拭う。ぐったりと椅子に背を預け、ナタールは、ほぅ、とため息を零した。
こちらは苦しくてしょうがなかったというのに、少女二人は可笑しそうに笑っているばかり。
何だよ、と膨れかけたものの、ナタールは結局、黒髪を揺らし、釣られたように笑い出した。
「仕方のないお兄様ですこと」
「本当にな。お前は、私たちがいないとダメだなぁ、ナタール」
おや、と髪と同じく、しっかりと黒に染めてあるナタールの眉が跳ね上がる。張り合っていたかと思えば、今度は『私たち』ときた。
そういえば、自分が喉を詰まらしたときの連携も息がぴったりと合っていた。仲がいいのか、悪いのか。本当にわからない二人だと、ナタールは苦笑う。
けれど、この二人と一緒なら、キムラスカは大丈夫だと思えるから、不思議だ。
「うん、そうだな」
にこりと笑みに目を細め、ナタールは二人を見つめた。
愛しい婚約者と、愛しい妹の二人を。
これから手を取り合い、生きていく二人を。
「これからもよろしく頼むよ、二人とも」
柔らかで穏やかな笑みを、二人に向ける。
メリルが誇らしげに胸を張り、力強く頷き、アーシェが淡く頬を上気させ、嬉しげに唇を吊り上げ、笑った。
ふわりと吹いたそよ風が、チョコレートとサクランボの香りで三人を包み、金色や紅、黒の髪を靡かせた。
END