月齢
女性向けブログ。ネタ語りや小説など。ルーク至上主義。
アシュルク。スレルクですが、ルークは白。
アッシュ大好きルークと、ルーク大好きアッシュの話。
時は瘴気中和。やっぱり同行者に厳しめです。
注!同行者厳しめ
嫌だ、とルークは笑って首を振り、アッシュからローレライの剣を奪った。
各国の王や代表が揃うダアトの教会に、耳障りな罵声が響く。
アニスがルークを詰り、ティアがルークを責め、ナタリアがルークを裁かんとし。
ジェイドが当然と頷き、ガイが失望の目をルークへと向けてきた。
彼らは皆、己の罪に気づかない。己の罪ですらも、ルークの罪だとしているからだ。
アッシュ一人が、顔を苦痛に歪め、ルークに懇願の目を向けている。
ルークはアッシュにだけ、微笑んだ。
「嫌なんだよ、アッシュ」
「ルーク」
「これは俺の役目だ。お前になんてやらせねぇよ」
「ルーク!」
「…俺は嫌なんだ、アッシュ」
ルークとアッシュの翠の目には、互いしか映っていない。
そのことに気づいていたのは、王たちだけだった。
預言に踊らされ、年若い二人の甥を追い詰めた己の罪に、初老の王が頭を抱え。
朱色の髪の青年の静かな決意を、水の皇帝は尊重した。
サッ、と片手を挙げ、部下に命じて、ルークからローレライの剣を奪い返そうとする者たちを制する。
彼の願いを叶えてやることくらいしか、彼に報いる術を、ピオニーは他に知らなかった。
「消えちまうんだぞ、お前は!」
「うん、そうだろうな。俺の身体は、瘴気の中和に耐え切れないだろうから」
「っ、わかっているなら、どうして…!残すなら、被験者であるべきだなどと言ってみろ、俺はお前を縛り付けてでも行かせはせん!」
アッシュの翠の目が、怒りに、悲しみに燃える。
ルークはアッシュが注いでくれる身を焦がさんばかりの鮮烈な思いに、身体を喜びに震わせた。
死ぬのが、骨の一欠けらも残さず消えていくことが、怖くないわけではない。
死にたいなんて思っていない。死にたくない。
それでも、アッシュが死んでしまうより、いい。
被験者だから、じゃない。アッシュだから。
アッシュ、だから。
「俺は、アッシュだから死なせたくないんだよ」
「それは俺も同じだ!」
ようやく、アッシュとルークの間に流れる、二人だけの絆に気づいたらしいガイたちが、動揺露わに二人を見つめる。
ナタリアが悲鳴じみた声を、喉奥から絞り出した。
「行くな、ルーク。逝くな!俺を一人にするな!」
「…アッシュ、大好き。愛してるよ。だから…」
ごめんな。
ルークは微笑みに細めた眦に涙を滲ませ、そっとアッシュに忍び寄ったピオニーが、アッシュの腹に拳をのめり込ませ、気を失わせる様を黙って見つめ。
ピオニーに礼を示すように頭を下げると、呆然とするガイたちを一瞥することなく、教会を後にした。
*
「どう、いう…ことですの」
気を失ったアッシュを支えるピオニーに、震える声でナタリアが問いかける。
ピオニーは呆れを隠さず、呆然とするナタリアたちを見回した。
「お前ら、本当に気づいていなかったのか」
「どういう、意味ですか」
「相変わらず、頭はいいくせに、馬鹿だなぁ、ジェイド。人の感情の機微に、お前は鈍すぎる。ちゃんと見てりゃすぐわかったはずだぜ。アッシュとルークが互いに惹かれあってることにな」
嘘ですわ!とナタリアが悲鳴をあげた。甲高い、耳を劈くような悲鳴だ。
嘘に決まっていますわ、と若草色の瞳が、ピオニーを睨む。
己の幻想に恋をしていることにも気づかない、哀れで愚かで身勝手な夢見る姫君。
ピオニーの蒼の目が、疎ましげに細められ、ナタリアを見返した。ビクリ、とナタリアの身体が震える。
「だって…だって、ルークはアクゼリュスを落とした大罪人ですのよ?!その上、その罪から逃れようとするように、先々で私たちに邪魔を!」
「そうですよぉ!ユリアシティから逃げ出して、罪を償おうともしない人間もどきを何でアッシュが!」
「そうです、陛下!今すぐ、ルークを捕まえなくては。今度は何を仕出かすかわかったものではありません!」
「黙れ。今この場で首を刎ねられなくなければ、今すぐ、その口を閉じろ」
地を這う蛇のごとく、他を圧倒する低い怒りの篭った声音でピオニーは彼らに命じた。
ピオニーの声から、目から、身体から滲み出る怒りに、ナタリアたちは口を噤んだ。噤むしかなかった。常日頃の気さくな態度を一変させ、威厳を纏うマルクト皇帝に、彼らは圧倒されたのだ。
そこにいるのは、紛れもない王。
──その事実にまるで初めて気づいたとでも言うように、視線に戸惑いを含ませる彼らに、王たちの護衛にあたるマルクト兵もキムラスカ兵も神託の盾騎士団員も、呆れの眼差しを向けた。中には、あれが自分たちと同じ国の軍人なのか、と恥入る者もいる。
「そうだな。確かに、ルークはアクゼリュスを落とした。だが、お前たちの邪魔をしたか?本当にそうか?むしろ、ルークはお前たちを導き、助けてやっていたはずだ。…気づいていたはずだな、ジェイド」
凍りついた蒼の眼差しに射抜かれ、ジェイドが眼鏡のブリッジを押し上げる。
それが動揺を浮かべる顔を隠すしぐさでもあることを、ピオニーは気づいていた。
「…最近では、ヴァンたちによるシェリダン襲撃、ですか」
「ああ、そうだ。やはり気づいていたな。シェリダンの民の犠牲があれだけで済んだのは、ルークが動いたからだ。気づいていて、何も言わなかったのか、お前。お前にとってレプリカは愚者でしかないのか?お前こそが愚者だろうに。…まあ、今はそれはいい。それよりも」
ピク、とピオニーの腕の中で、アッシュが身じろいだ。
もうしばらくは気を失っているものだと思っていたが、さすがに特務師団長を務めてきただけはある。並の軍人よりも回復が早い。
ゆるゆると目を開けたアッシュが小さく呻き、パッとピオニーから離れた。状況に一瞬、戸惑いながらも、ルークを追いかけねばと走り出そうとするアッシュの腕を、ピオニーは掴む。
「離せ!」
「悪いが、行かせるわけにはいかん。お前は第七音素譜術師だからな。ルークの超振動にレプリカたちとともに巻き込まれる可能性がある」
「知ったことか、俺は…俺はあいつを死なせるわけには!」
「…お前の気持ちは知ってる。それでも行かせん。ルークとの約束だからな」
「?!」
アッシュの目が見開かれ、ピオニーを凝視する。
ピオニーはそんなアッシュの視線から逃げようとはせず、じ、と見返した。蒼と翠がかち合う。
「瘴気は自分が消す。レプリカたちも連れて行く。その代わり、残りのレプリカを保護し、お前を止めて欲しい、とルークは言った」
「…それでそれを…受け入れた、のか」
「ああ。お前にはローレライを解放してもらわねばならん。せっかくルークが命を懸けて大地に漏れた瘴気を消したというのに、大地の奥底で瘴気に侵されたローレライがいたのでは何にもならんからな。音譜帯まで上がれば、ローレライは他の音素集合体たちの力を借り、自身の瘴気を浄化できるらしい」
「それに、世界が預言から脱却するためにも、ローレライは音譜帯に上がらなければならない」
「そうだ。それに、何より」
言葉を切り、ゆっくりと息を吐き、また息を吸う。
アッシュが唇を噛み締め、ピオニーを見仰ぐ。翠の目が苦痛に揺れる様が、酷く痛々しい。
ルークの目も、同じだった。
半身と引き裂かれる痛みに、耐えていた。
「何より、ルークはお前に生きていて欲しいと、そう願っている」
「俺だって、同じだ!どうして、あいつは一人で…ちくしょう、ルーク…ッ」
自分を振り払おうとするアッシュの腕を掴む手に力を込め、ピオニーは目を伏せる。
行かせるわけには、いかない。
──アッシュには伝えられない、ルークの願いのためにも。
(ルーク、すまない)
償いきれない罪を負っているのは、ルークだけではない。そのことに気づいている者は、少数だが。
ルークは、アッシュのために、被験者である『聖なる焔の光』のために、彼が預言の強制力によって命を落とすことがないよう、代わりにアクゼリュスを落とした。落とすつもりでルークはアクゼリュスへと向かったから、ヴァンの戯言を聞き入れず、民を救助するつもりだったという。
その救助が間に合わなかったのは、ジェイドに責任がある。タルタロスを奪われ、兵も皆、虐殺され、明らかに人手が足りないというのに、救援のための増員を依頼してこなかったのは、ジェイドだ。街道の許可が出たことすら、報告してこなかった。自分一人で何が出来ると思っていたか。自分さえいればそれでいいと思っていたのか。どこまで己を過信している。
甘やかしすぎたか、とピオニーは苦虫を噛み潰したような顔で、ジェイドを睨む。己の能力の限界さえも図れないほどに愚かだとは思わなかった。だが、そんなジェイドを名代に命じたのは自分だ。
レプリカであるルークが、一万人の赤ん坊のように何も知らないレプリカたちが、被験者の代わりに犠牲になることを当然だと思っている幼馴染を、ピオニーは心底嫌悪した。
ピオニーはアッシュの腕を掴んだまま、教会内を見回した。
己の罪に気づいている者は、苦悩に顔を歪ませ、打ちひしがれている。
けれど、ルークとともにアクゼリュスへと向かった者たちは、誰もが皆、何故、自分たちが兵に囲まれねばならないのだと、憤慨しているばかりで、自省している様子はない。
救いようがない、とピオニーは首を振る。彼らにはきっちりと罪を自覚させてから、罰を受けさせてやる。
「…ルーク。ああ、ルーク、嘘ですわよね?」
往生際悪く、ナタリアがアッシュを呼んだ。ルーク、と呼びかけて。
兵たちを疎ましく見やり、アッシュへとその白い手を伸ばしてくる。
アッシュはその手を掴むこともしなければ、振り返ることすら、しなかった。
「俺はルークじゃない。何度言えばわかるんだ、ナタリア」
「いいえ、あなたはルークですわ。だって約束を覚えていて下さいましたもの!私のルークは貴方ですわ」
「お前のルーク?そんなものは、お前の幻想でしかない。お前が勝手に作り出した幻だ」
吐き捨てるように、アッシュが言う。
忌々しそうなその声音に、当然だな、とピオニーは頷き、ナタリアは笑みを浮かべた顔を、凍りつかせた。
インゴベルト王が失望の目を娘に向け、項垂れた。
「俺には、あいつだけ。ルークだけだ。なのに」
目を伏せ、拳を振るわせるアッシュの顔を、ぱさりと落ちた紅の髪が覆う。
ピオニーはそんなアッシュを痛ましげに見つめ、息を吐いた。
ルークの言葉が、頭を過ぎる。大爆発のことを、スピノザに聞いたという、ルークの言葉が。
残したくないんです、とルークは言った。
この教会に集まった自分たちの前に、ルークがいなくなった穴を埋めるかのように、強引にナタリアたちに連れられているアッシュよりも一足先に姿を見せたルークが言ったのだ。
『嫌なんです。大爆発でアッシュの音素が俺に流れ込んで、俺の身体がアッシュのものになるのは、いい。でも、俺の記憶までもアッシュが引き継がれるのは、嫌なんです』
哀しげに笑う顔が、目に焼きついて離れない。
諦めきった、ルークの顔。七歳の子どもが浮かべていい表情ではなかった。
『俺の記憶を覗けば、アッシュはきっと絶望する。俺のことを本当に愛してくれているから。アッシュに世界に、人間に絶望して欲しくないんです。生きていて欲しいから。幸せになって欲しいから。俺じゃない人でもいい。誰かをまた愛して欲しいから。だから、俺の記憶を、アッシュに見せるわけにはいかないんです。嫌、なんです』
その言葉が意味することに、ピオニーはインゴベルトとともに愕然とした。己が犯した罪を思い知る。彼とともにいた者たちの傲慢さに吐き気を覚えた。
ルークは、絶望、したのだ。世界に人に。それだけの仕打ちを、彼は受けた。ルークは完全に信じてはいなかったとはいえ、師であった男に裏切られ、仲間だとともにいた者たちにもあっさりと手のひらを返され、すべての罪を押し付けられたのだ。きっと世界を憎んだだろう。
アクゼリュス後、一人で行動するようになったのは、そのためだ。誰も信じる価値もない人間ばかりだと、そう判断したのだ、ルークは。
そのルークが、世界を救う。それは、人のためでも、世界のためでもない。
ただ一人、アッシュのため。アッシュに生きていて欲しいため。
シェリダンを救ったのも、偽姫と捕らえられたナタリアを助け出すことに影ながら協力したのも、すべてはアッシュのためだ。アッシュが、哀しむことがないように。アッシュが少しでも動きやすいように。
『アッシュは優しいから。その優しさを俺は失って欲しくない』
ただ一人の半身を、愛する半身を救いたい。
そのためだけに、ルークは生き、そして逝こうとしている。
王として、ピオニーは世界のため、自国の民のため、ルークの提案を呑んだ。瘴気を消す代わりに、残りのレプリカたちを保護し、アッシュを止める、と。
けれど、ピオニー自身としては。
(ルーク。本当に、これでいいのか)
アッシュも同じだ。お前を愛してる。お前だけが唯一無二の半身なのに。
お前を失えば、アッシュは絶望に沈むというのに。
(どちらの方が幸せなんだろうな)
何も知らないまま、互いに個を持ったまま相手を失うのと。
相手の存在を喰らい、記憶までも受け継ぎ、一つになって失うのと。
どちらの、方が。
それは自分には決められない。決められることではない。
やはり、自分にはルークの『願い』を聞き届けることしか出来ないのか、とピオニーはルークの名を呼び続けるアッシュを捕らえたまま、眉を寄せた。
*
レプリカたちが一人、また一人と光の粒となって消えていく。
自分もああして消えていくんだな、とルークはローレライの剣を強く握り締めながら、唇を噛み締めた。怖い。彼らを犠牲にしてしまったことも、これから消えていくことも。
アクゼリュスの崩落に巻き込まれ、死んでいった人たちが頭を過ぎる。ゴメンナサイ、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ。あなたたちを助けたかった。でも、それ以上にアッシュを助けたかった。アッシュに預言なんかの犠牲になって欲しくなかった。ゴメンナサイ。
(でも、これは全部全部俺のエゴ)
アッシュに生きていて欲しいという、自分の願いを優先した。アッシュのせいじゃない。だから、どうか恨むなら俺だけを恨んで。
ルークは目を逸らすことなく、消えていくレプリカたちを見つめた。強く噛み締めすぎ、破れた唇から、つ、と血が顎へと伝う。
(幸せに、幸せになって、アッシュ)
大爆発で、アッシュと一つになれるなら、それは夢みたいに幸せなことだと思った。でも、そう思ったのは最初だけ。一つになれば、記憶だけが残ってしまうと聞いた。
それは、嫌だった。
(だって見せられない。見せられるわけがない)
居心地のいいフリをした箱庭で向けられた、失望の目。──昔のルーク様ならば、こんなことくらい簡単でしたのに。
キラキラと目を輝かせ、記憶を取り戻せと迫る『婚約者』──約束を思い出して下さいませ。大丈夫。私が必ず思い出させて差し上げますわ!
凍て付いた復讐者の面を被って笑う『親友』──ああ、本当になんてうざいんだ。泣くなよ、我が侭お坊ちゃま。
息子を哀れむ様を装って、その実、自分を哀れむ『母親』──どうしてルークばかりがこんな目に。なんて可哀相な子なのでしょう。どうして私の子が。
預言に死を読まれた、跡継ぎとしては役立たずな息子を見ない『父親』──十七で死ぬのだ。好きにさせておけ。
なんて醜い『家族』だろう。こんなもの、あの優しい半身に見せられるわけがない。
こんなところに自分は帰らねばならないのかと、失望させたくない。
(どれもこれも、見せられない)
正しいことを言っているのに、世間知らずの一言で片付ける聖女の子孫も、役目を果たさず、自分こそ誰も信頼なんてしていないくせに相手にばかりそれを求める死霊使いも、いかにして自分の罪から逃れるか、と保身ばかりに頭を働かせ、守るべき導師すらも犠牲にしておきながら生き延びる導師守護役も、アッシュには見せられない。
優しい笑顔を浮かべて、愚かな道具と切り捨てた師の嘲りの声も聞かせられない。
(ねぇ、アッシュ、アッシュ。見せられない、んだ)
優しい記憶だって、ないわけじゃない。
ペールが花の名を教えてくれて、こっそりと吸わせてくれた甘い花の蜜。
癇癪を起こして、昼食を食べ損ねた自分に、メイドの一人が内緒ですよ、とくれた香ばしいクッキー。
退屈で退屈で仕方ない自分の相手をしてくれた、白光騎士との稽古。
兄を助けてくださってありがとうございます、と泣きながら笑って、頭を下げたノエルの揺れる髪。
ルークさんのためなら、どこまでだって飛んでいきますよ、とパイロットになってくれた、ギンジの笑顔。
とてもとても大切な、宝物みたいな優しい記憶。温かな記憶。
けれど、綺麗なだけの記憶ではないから。優しいもので一杯なら、よかったのに。
アッシュの心をほっこりと温めてくれるような、そんな温かなもので一杯だったら。アッシュへの想いだけで一杯の記憶だったら、よかったのに。
それなら、アッシュのもとに残して逝けたのに。
「…アッシュ」
足の先が、少しずつ金色の光に変わっていくのを、ルークは見た。
身体が、糸がするすると抜けていくように、散っていく。光の粒子となって、消えていく。
俺は消えてしまう。何か一つでも、アッシュに残して逝けたらよかったけれど。
(せめて、この想いだけでも、アッシュの中に残ったらいいんだけどな)
大好きだよ、アッシュ。愛しい愛しい、俺の半身。
最後のレプリカが消えるのを見届け、ルークはゆっくりと朱色の睫毛を震わせ、目を閉じた。
意識が白金に染ま、り。
──後には、穏やかな風が吹き、どこまでも続く青空の下、鈍く光る剣だけが残されていた。
朱色の髪の一本も残さず、…残せず、その日、瘴気と一万人のレプリカを連れ、『ルーク・フォン・ファブレ』は世界から消え去った。
*
「幸せになれ、と言っただろう?」
音譜帯で擬似的な身体を得、まどろんでいたルークの鼓膜を、一人の青年の声が揺らした。
何してんだよ、と口をぱくぱくと動かす。声がうまく出せない。言葉を使わないうちに、声の出し方を忘れてしまったようだ。
「お前が言ったんだろう。俺には幸せになって欲しい、と」
紅い髪をふわりと広げ、笑う青年に息を呑む。
確かに、言った。でも、生きて幸せにと言ったはずだ。
なのに、どうしてここにいるんだ。
「意味がないんだよ。お前がいなきゃ、俺は死んでるも同然だ。それじゃあ生きてるって言わないだろ。まったく、お前は本当に馬鹿だな」
馬鹿はどっちだよ。何やってんだよ。
いいのか、こんな。こんな何もないところ、なのに。
俺とローレライくらいしか、いないのに。
鼻の奥がツン、と痛み、ルークはぐ、と唇を噛んだ。
目頭も熱い。ずっと忘れていた感覚が、蘇ってくる。
忘れようと思っていた『生きている』感覚が、蘇ってくる。
「お前がいれば、そこが俺の生きる場所だ」
ス、と青年が両腕を広げた。
来いよ、と笑う。
「愛してる、ルーク」
「アッシュ!」
叫ぶように出た声とともに、ルークはアッシュの腕の中に飛び込んだ。
アッシュのすべてを五感で感じる。
しっかりと抱きとめてくれる腕の感触。
アッシュの持つ優しい陽だまりみたいな匂い。
同じだけれど、自分よりも少しばかり低い声。
眼前で揺れる紅い髪。
合わせた唇と絡み合う舌の味。
すべてがアッシュのものだ。アッシュだけのもの。
アッシュが、今、こうして自分を抱き締めている。
愛してる。それだけでルークの心は一杯になる。はち切れそうだ。涙腺が壊れてしまったらしい。滂沱の涙が頬を濡らす。
「アッシュ、アッシュ!」
「ルーク、もう二度と離れるものかッ」
離すものか。
強く強くしがみつくように抱き締めてくるアッシュの腕。
自分も知らないたくさんのものを、アッシュだけのものを、きっと持っていたはずの腕。
そのすべてを捨ててでも、アッシュは自分を抱き締めてくれている。
抱き締める道を、選んでくれた。
「俺、俺だって、アッシュからもう…ッ」
「ああ、離れるな、ルーク」
ローレライの守護する音譜帯で、二つの分かたれた焔は、再び、一つとなり。
二度と離れまいとするかのように、唇を重ね、互いの頬を涙で濡らし続けた。
END