月齢
女性向けブログ。ネタ語りや小説など。ルーク至上主義。
カーマインバレット最終話。(一話目、二話目、三話目)
今回の四話目で、最後の話になります。
アクゼリュス崩落からタルタロスの話。
ジェイドとティアに特に厳しめです。
注!同行者厳しめ
崩れていく大地を蒼ざめた顔で見つめながら、シュルツたちはティアの譜歌で作り出された結界に包まれ、ゆっくりと下へ下へと向かっていく。
そろりと恐る恐る覗いた底は暗く、澱んでいる。奈落に通じる穴のようだ。
ぶるっ、と思わず、シュルツの肩が震える。闇に飲み込まれていくようで、恐ろしい。
シュルツの右手を、温かな手が握った。顔を向ければ、同じように血の気のない顔をしながらも、真っ直ぐに自分を見つめてくる翡翠の目があった。
「…ルーク様」
「帰るんだろう、お前は。家族のもとに」
フリージアのおまじないが、きっとお前を守ってくれる。
自身もまた恐怖を感じているだろうに、頬を引き攣らせながらも、自分を安心させたいのだろう、笑みを顔に乗せるルークに、シュルツはほぅ、と息を吐く。これでは、どちらが守られているか、わからない。
そっと指先でフリージアの唇が触れた頬を撫でる。そう、ルーク様の言うとおりだ。
何が起ころうとも、自分は必ず、ルーク様を守り通し、家族のもとに帰ってみせる。
こくりと頷き、シュルツはルークの手をしっかりと握り返した。
*
崩落したアクゼリュスの大地の欠片に辿り着いたところで、シュルツたちはタルタロスを見つけ、乗り込んだ。誰かしら残っているかと探ったが、人気はなく、気配もない。
だが、そこかしこに洗い落とされてはいるものの、こびり付いた血痕があり、シュルツはタルタロスで起きた惨劇を想像し、眉を寄せた。どれほど、無念だったことだろう。
機密任務であったからと、タルタロスの乗員たちの死が、訓練上の事故だったと片付けられてしまったとしたら、彼らがあまりに哀れだ。指揮官がのうのうと生きているからこそ、なおさらに。
せめて、和平のための任務遂行上の名誉ある死と発表され、二階級特進となればいいけど、とシュルツは願う。当然、それでも彼らの死に納得はいかないし、遺族にとっては慰めにもならないだろうが。
「タルタロスには誰も乗っていないみたいだな」
「だが、何故、こんなところに…」
「六神将が乗ってきたんですよ。アニス──そこにいる導師守護役のことですがね。彼女が教えてくれました。それに、ティアの話では、『魔弾のリグレット』がアクゼリュスにいたそうです。アニスの話では、ダアトへの帰国の途中、リグレットによって導師イオンを誘拐されたとのことで。それでアニスも、タルタロスを追って、ここまで来た、と」
「…六神将が、ねぇ」
マルクトと戦争がしたいのは、キムラスカだけじゃないのかもな、とシュルツは内心、吐息する。乗員を殺されたうえ、奪い取られた戦艦を堂々と利用されていた、とマルクトが知れば、怒るのは必至だ。
ダアトとキムラスカが手を組み、マルクトに戦を仕掛ける──そんなシナリオでも裏にあるのだろうか。ルークの話によれば、預言に詠まれているのは、マルクトとキムラスカの間の戦争だが、ダアトもキムラスカの援軍として加わるつもりなのかもしれない。直接、会ったことはないが、噂で聞く大詠師ならば、美味い汁を啜ろうと、そのくらい画策していても不思議はない。
ダアトの援助を受けているケセドニアも巻き込まれるに違いなく、シュルツは苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。
「シュルツ、傷の手当てを」
不安そうにルークに腕を取られ、そうですね、と頷く。安全を確保することを優先させなくては、と突き刺さったままにしておいたナイフのことを忘れていた。
抜けば血が溢れるから、とルークを下がらせ、タルタロスで見つけたタオルでナイフを上から握り、シュルツはナイフを一気に抜いた。案の定、血が噴出し、タオルがあっという間に真っ赤に染まる。
落としたナイフが、足元でコツン、と音を立てて、転がった。
「私が回復譜術を掛けてさしあげますわ」
まだ紹介のない金色の髪をした少女が歩み出で、シュルツの顔をじっくりと見つめながら、首を傾いだ。こんな影武者がいらしたなんて、知りませんでしたわ、と少女が感心したように息を吐く。
ルークが違う、と首を振った。ナタリアとルークが呼んでいたのは、きっとこの少女のことだろう。
(つーことは、ナタリア王女、か?)
何故、王女がアクゼリュスにいたのだろう。親善大使はルークのはずだ。王女まで派遣されたとなれば、マルクトはどちらを優先させるべきか、混乱することになる。
どんどん血が染みていくタオルに、シュルツは貧血を起こす前に、今は傷を治す方が先か、と少女に必要ないと首を振り、詠唱を始めた。
「女神の抱擁、キュア」
パアア、と温かな光が腕を包み、痛みが引いていく。血も止まり、タオルで傷口の血を拭き取れば、すっかり塞がった上、薄くなった傷口が現れた。これなら、痕も残らず、二、三日もすれば綺麗に消えるだろう。
回復譜術も使えるのか、とガイが羨ましそうに呟いた。
「第七音素の素養があるんだから、しっかり使えるようになりなさい、って母さんにそりゃ手厳しく仕込まれてさ。子どものころは何で俺ばっかりって思ったもんだけど、傭兵になった今じゃ、あんとき頑張っといてよかったって、しみじみ思う」
「そりゃそうだろうなぁ」
本当に羨ましそうに嘆息するガイに苦笑いを浮かべていると、ふと視線を感じた。シュルツはちらりとその視線を窺う。
ジェイドが眼鏡のブリッジを押し上げ、一人、確信したように頷いているのが視界の端に映った。
一体なんだと、その不穏な態度に、眉を寄せる。
「…あなたがしたんでしょう?」
そのときだった。ティアが嫌悪の混じる声でシュルツを忌々しげに睨んできたのは。
何のことだよ、とシュルツはティアに怪訝そうな目を向ける。誤魔化すつもり?!とティアが声を荒げた。
「アクゼリュスを崩落させたのは、あなたでしょう?!」
「……は?」
何言ってるんだ、この女は。
頭の回路がぶっ飛んだ女だとは常々思ってきたが、今回の台詞はさらに上を言っている。何故、自分がアクゼリュスを落としたことになっているのだ。何を見、何を聞いて、そんな結論に至ったのか、まったく理解出来ない。
そんなシュルツの態度を不遜な態度と捉えたのか、ティアがロッドを突きつけ、眉を吊り上げた。
「リグレット教官が教えてくれたのよ。『聖なる焔の光』がアクゼリュスを崩落させるという預言をね。だから、早く自分と一緒にここから逃げろって…。でも、私はあなたを止めなくちゃ、と教官を振り切ってあなたを追ったのよ。…間に合わなかったけれど」
くっ、とこれみよがしに口惜しそうに、ティアが唇を噛む。
下手な芝居を見せられているかのようで、シュルツは辟易したように吐息した。
「だから、何だよ。そりゃ、俺もルークだし、『聖なる焔の光』かもしれねぇけど、アクゼリュスが落ちたのは、俺のせいじゃねぇし」
「最低ね、あなた。自分の罪を自覚しようともしないなんて」
「…お前にだけは言われたくねぇよ」
思わず、悪態がシュルツの口から零れ出る。誘拐の罪も不法侵入の罪も不敬罪も小指の爪の先ほども理解していない女にだけは言われる筋合いはない。
それに、アクゼリュスが落ちたのは、ヴァン・グランツが譜業爆弾をパッセージリングとやらに投げたからだ。確かに、止められなかったことについては責任があるとは思うが、責められるべきはあの男だ。自分ではない。
大体、あの場を見てもいなかったはずなのに、何故、こうも自信満々にお前が悪い、と言い切れるのか。もしかしたら、兄の罪を認めたくなくて、すべて自分に覆い被せようとでもしているのか。
そういえば、ヴァンに対して、この女は何かを叫んでいた。外郭大地、と言っていた気がする。もしかしたら、今回のことをティアは何か知っていて、それを隠しているのか。その後ろめたさで自分にすべてを押し付けようとしているのかもしれない。
いずれにせよ、とことん、たちが悪い。
顔を顰めるシュルツを庇うように、ルークが一歩、歩み出て、ティアを睨んだ。
「ティア・グランツ、一つ聞くが、お前が聞いた預言の内容は、そこまでか?」
「それで十分じゃない」
「いいや、十分なものか。その預言には、『聖なる焔の光』がローレライの力を使って、アクゼリュスを崩落させ、消滅することが詠まれているんだ。シュルツにローレライの力など、ない」
付き合いきれん、とルークが首を振る。シュルツもガイも、ルークと揃って、馬鹿馬鹿しいと肩を竦めた。
それよりも、顔色の悪い導師やルークを瘴気に満ちた場所にいつまでも置いておくわけにはいかない。タルタロスの甲板で話す意味はないはずだ。
とにかく今は中に行きましょう、とシュルツはルークたちを促す。ティアがまた叫ぼうとし、待ってください、とティアに先んじ、今度はジェイドが口を開いた。
「シュルツ、あなたにもローレライの力があるはずです。それが具体的にどのような力かは、わかりませんが、推測は成り立ちます。第七音素に関する力──超振動ではありませんか?」
「…何で俺がそんなもん使えるなんて思うんだよ」
ローレライの力が超振動である推測は正解だが、そこで何がどうなったら、自分がそれを使えるなどと思うのか。意味がわからない、とシュルツは胡散臭そうに目を細め、ジェイドを睨む。
やれやれ、誤魔化すつもりですか、とジェイドが大げさに肩を竦めた。
「それとも、ご自分の出生をご存知ないということでしょうか」
「あ?自分の出生なら、よく知ってるに決まってるだろ。ND2000、バチカルのスラム街で父シュタットと母エレオノーラの間に生まれた。それに何か文句でもあるのか」
シュルツの声に険が混じる。眉間にも皺が寄り、纏う空気も張り詰めていく。
ルーク・シュルツには、この世で許せない、どうしても腹を立てずにはいられないことがある。その主だったものは、妹に関することだが、その中でも特に許せないのが、出生をからかわれることだった。幼いころ、髪と目の色が両親と違うことで、どれほどからかわれ、両親を嘲られたことか。
優しい両親が自分のせいで侮辱を受けることが、何よりも許せなかった。そのために、幼いころは髪をバリカンで刈り上げたこともある。丸坊主になった自分に、両親は優しく言ってくれた。
お前のその優しさこそが、私たちの、俺たちの子どもの証だと。
ジェイドを睨む視線に殺気すら込め、シュルツは拳を強く握りこんだ。
「あなたは、ルーク・フォン・ファブレのレプリカなのではありませんか?」
「レプリカぁ?何だよ、それ。あのおっさんも言ってやがったけど」
びく、と導師イオンが視界の隅で肩を震わせたことに疑問を覚えながらも、ジェイドから視線を逸らさず、睨み続ける。
ジェイドがく、と眼鏡のブリッジを押し上げ、ふぅ、とため息を零した。
「レプリカとは、オリジナルからレプリカ情報を抜き出し、人工的に作り上げたオリジナルそっくりの複製のことです。まあ、オリジナルに比べ、劣化しますがね。シュルツ、あなたはおそらくヴァンが作り出した、ルークのレプリカでしょう。それならば、あなたとルークが驚くほど似ていることにも説明がつく。何より、あなたは第七音素も扱える…まさにルークのレプリカである証拠ではありませんか」
「俺は正真正銘、母さんの胎から生まれてきた。それをあんたは、くだらねぇ考えで否定するってのか」
「否定も何も…ご両親がどういった経緯であなたを息子として引き取ったのかは知りませんが、刷り込みをされているならば、あなたがご両親を本当のご両親と信じてしまうのも無理はありません。ですが、調べればわかることですよ、あなたとご両親の間に血の繋がりがないことくらい」
「…そういえば、あなた、兄弟たちの誰とも似ていなかったわ。髪の色も目の色も」
「なるほど。それはいい情報をありがとうございます、ティア。やはり、あなたは」
ジェイドの独り善がりな自信に満ちた滔々とした台詞は、そこで止まった。ジェイドの頬に、シュルツの渾身の拳が叩きつけられたからだ。
呻き声とともに、ジェイドの身体が倒れこむ。コン、と口の端から歯が一本、転がり落ちた。
真っ白なそれがころころと転がり、ジェイドの近くにいたティアの爪先にぶつかる。きゃあ、と悲鳴をあげ、ティアが慌てて、ジェイドへと駆け寄った。
黒髪の少女もツインテールを揺らし、何すんのよ!とジェイドへと駆けて行く。導師守護役だと紹介されたはずだが、導師を平気で放っていくところを見るに、アニスとやらも口先だけらしい。神託の盾騎士団には揃いも揃って役立たずしかいないのか、とシュルツは唾を吐く。
ナタリアは、ジェイドがマルクト兵だからだろう、シュルツに眉を顰めながらも近寄ることはせず、ルークへと困惑の視線を向けている。ルークとガイはナタリアを一瞥することなく、ただシュルツを気遣わしげに見つめていた。
シュルツは深く息を吐き出し、ジェイドを殴り飛ばした右手を開き、また握った。身体を起こしたジェイドが、忌々しげにシュルツを睨み上げてくる。
「言っておくけどな。俺があんたを殴ったのは、あんたが俺をレプリカって決め付けたからじゃねぇ。レプリカだろうがなんだろうが、平気な顔で劣化だなどと言い切るあんたの神経は人間として最低だと思うけどな。俺はなぁ、俺のことなら、侮辱されようが耐えられる。でもな、お前がしたことは、俺の両親への侮辱だ。ふざけんな、てめぇが何を知ってんだ。頭がよかろうがなんだろうが、あんたは馬鹿だ!母さんや父さんが俺が朱色の髪と翡翠の目を持って生まれたことで、どんだけ苦しんだと思ってんだよ!そりゃあなぁ!父さんはいつだってあっけらかん、と母さんを疑ったことなんてねぇって言いやがるし、母さんだって、お父さんが自分を疑うわけないって信じてたもの、ってにこにこ笑ってるけどよ!それでも辛くなかったわけがねぇんだよ!陰口叩かれて、値踏みするような目、向けられて!なのに、いつだって二人は俺を自慢の息子だって抱き締めてくれた。そんな二人が俺に嘘ついてただ?ふざけんじゃねぇよ!」
こみ上げてくる激情のままに、言い放つ。今、この場に人目がなかったならば、もっと拳を振るっていた。気絶するまで殴っていた。気の済むまで、ジェイドを叩きのめしていた。
けれど、ルークの前でそんなことは出来ない。今は、そんなことをする場ではない。
震える拳を必死で押さえ込み、シュルツは奥歯を噛み締める。
「…レプリカの特徴は何だ」
「…はい?」
「レプリカの特徴だ。身体的な特徴とか、ねぇのか」
俺がレプリカじゃねぇと証明してやる。
ティアに回復譜術を掛けられているジェイドを睥睨し、訊ねる。ジェイドが口の端から滴る血をグローブで拭い、そうですね、と赤い目を細めた。
「レプリカは音素が乖離しやすい。ですから、身体の一部があなたから離れれば、それはあっという間に音素となって霧散するでしょう」
「わかった」
シュルツは、足元に転がる、腕から抜き取ったナイフを拾い、朱色の髪を無造作に掴んだ。シュルツ?!と声を荒げるルークに構わず、ぐ、とナイフを髪に当てる。
ザン…ッ。
勢いよく、迷いなく、髪を切る。切った髪の束を、シュルツはジェイドの顔へと投げつけた。
さらさらと朱色の髪が、青い軍服の上に散らばり、ブリッジに広がる。
「よく見ろよ」
「…こんな」
シュルツの髪を拾い上げ、ジェイドが眼鏡の奥で忙しなく、視線を泳がせる。ティアもまたジェイドに寄り添い、大佐、と不安げに眉を寄せている。
愚か者同士、似合いの二人だな、とシュルツは唇を歪めた。
「消えねぇな」
「…あなたは、レプリカ、ではないのですか」
そんな、とジェイドの声が震えを帯びていることに、眉を寄せる。レプリカではない証拠を突きつけられたことがそんなに信じられないのか。己の推論が証明されなかったことが、そんなに悔しいのか。
なるほど、と訝しげにジェイドを見下ろすシュルツの側に、ルークが並んだ。
「アクゼリュスが崩落する瞬間を見てもいないのに、何故、こうも強引にことを進めるのかと思えば…そういうことか」
「ルーク様?」
「シュルツが俺のレプリカで、超振動を使い、アクゼリュスを崩落させた。そういう事実が、こいつらは欲しかったんだ。特にジェイドは、だな。これまでの己の失態の数々を少しは反省したんだろう。それがいかにまずいものであったこともな。だからこそ、その場にいたにも関わらず、アクゼリュスの崩落を止めることが出来なかった失態だけは、せめて避けたいと思ったんだろうな。それに、ホド戦争を思い出させるような大地の崩落となれば、衝撃的だ。アクゼリュス崩落の罪を全部お前に被せて、己の失態から注意を逸らさせようとでも思ったんじゃないか」
シュルツを、すべてをうやむやにするためのスケープゴートに仕立てるつもりだったんだろう、とルークが蔑視の視線をジェイドに落とす。
ジェイドが、私は、と呟いたものの、それ以上、何も言わずに口を噤み、視線を落とした。
「まあ、何という愚かな真似を!マルクトでは一体、どのような教育をなさっているのかしら!」
「それはお前にも言えることだ、ナタリア」
憤慨した様子で腰に手を当て、ジェイドを見下ろしたナタリアに、ルークが冷めた視線を向ける。どうなさいましたの?とナタリアが困惑した面持ちで、首を傾いだ。
はぁ、とルークの口から、ため息が漏れるのを、シュルツは聞いた。
「何故、アクゼリュスに来た」
「言ったではありませんか。貴方を手伝うためですわ!ルーク、貴方は外交経験がありませんし、和平などという世界にとって重大な場に、キムラスカの王女たる私がいなくては、貴方も不安でしょう?」
「王が親善大使にと命じたのは、俺だけだ。お前はむしろ、行くな、と止められていたはずだろう、忘れたのか」
「お父様だって、わかってくださいますわ」
善意で来たのだと、ナタリアが華やかな笑みをルークへと向ける。シュルツはどっちが外交経験がないんだ、と低く呻いた。つまり、この王女様は国王の命令に叛き、自国の公務を放棄して他国へとやって来たということだ。
ナタリア王女の政策が、どれもこれも実のない政策でしかなかったことは知っていたが、やはり、キムラスカを見限った父母は正解だったと、額を押さえ、天を仰ぐ。仰いでも広がっているのはどんよりとした瘴気の雲で、青い空が懐かしくなるばかりだった。家に帰りたい。フリージアの笑顔が見たい。弟たちと戯れたい。
だが、その前に、地上に何とかして、戻らなくては。ルークを連れて。
それも、キムラスカがマルクトへと宣戦布告を果たす前に。
「わかってくださいますわ、か。お前は自分は王女だと言いながらも、王を父としてしか見れないんだな」
「…?何を仰いますの?お父様はお父様に決まっているではありませんか」
「その前に、国王だ。そして、お前は臣下だ。お前はそれを理解しようともしないが」
今だ理解できないというように、愛らしく首を傾ぐナタリアに、ルークが失望の目を向ける。
ケホッ、とイオンが咳き込むのが聞こえた。早く中に入った方がいい、とルークを促し、シュルツはイオンに走り寄る。
途端に、アニスがイオン様に近づかないで!と自身が放置したのも忘れ、叫んだが、シュルツは目を向けることすらせず、イオンを抱えた。
「…すいません。僕は」
「薬か…暗示でも掛けられてたんでしょう?尋常な様子じゃなかったことは、知ってます」
「…僕は、知っています。貴方は何も悪くない」
「…ありがとうございます」
「いえ、礼を言うのは、僕の方です。…貴方の言葉が僕は嬉しかった」
「言葉…?」
イオンが咳き込み、荒い呼吸を吐きながら、シュルツの頬に触れる。苦しいのか、緑の目に、涙の膜が張り、ぽろりと一粒、零れ落ちた。
イオンの言葉に引っかかる点はあったが、今はイオンの体調を優先すべきだ。モースやヴァンの所業を思えば、彼らをここまでのさばらせた導師に思うところはあったけれど、自分の感情は二の次だ。
瘴気を吸わないよう、口を閉じていてください、とイオンに言い、シュルツはガイとルークとともに、タルタロスの中に入った。ルーク、とナタリアが呼ぶ声がしたが、ルークが振り返ることはなかった。
「大丈夫か、イオン」
タルタロスの廊下を行き、手ごろな部屋のソファにイオンをシュルツが横たえると、心配そうに眉根を寄せ、ルークがイオンの側に膝を着いた。アニスのこともあり、手間を掛けさせられたことも事実なのだろうが、それでも、ルーク自身はイオンを嫌っているわけではないらしい。
イオンが血の気のない顔で、こくん、と頷いた。
「すみません、ルーク」
「お前が謝ることじゃない。悪いのは、ヴァン・グランツだ」
だから、今は休め。
イオンの両目をそっと右手で覆い、ルークが優しく囁く。イオンがはらはらと涙を零しながら、目を閉じた。
すぐに、安らかな寝息が聞こえてくる。限界だったのだろう。
「…これから、どうすりゃいいんだろうな」
丸窓から外を見つめ、ガイが苦しげに呻く。タルタロスはゆっくりと流されるように動いている。
この瘴気の海に、大地はあるのだろうか。そして、地上に帰れるのか。不安は尽きない。
「シュルツ」
「はい?」
「…巻き込んで、すまない。今さら、だがな」
ルークが顔を曇らせ、俯く。不安そうにしていた自分に、申し訳ない気持ちで一杯だと、そんな顔をしている。
シュルツはパンッ、と両手で自身の頬を挟むようにして叩いた。不安がっていても、前には進めない。何とかなる。そう信じなければ。
何より、守ると決めた人を、自分が不安がらせてどうする。
「大丈夫ですよ、ルーク様。きっとどうにかなります。フリージアのおまじないだってあるしね」
とん、と頬を指の腹で叩き、笑う。ルークがぱちぱちと瞬き、小さく笑った。
笑えるならば、大丈夫。ガイも苦笑している。それも笑みには違いない。
「せっかく綺麗な髪だったのにな」
「フリージアは残念がるでしょうけど…正直、邪魔でしたし、いい機会ですよ」
それに、鬘も被りやすいし。
にっ、と口の端を吊り上げ、ざんばらになった髪を弾く。鬘?と首を傾ぐルークの前で、シュルツは腰を屈め、膝を着いた。
「ルーク様、貴方の御身は、これから先、預言成就を願うキムラスカやダアトに狙われるはずです。キムラスカがマルクトへと突きつける宣戦布告の理由は、貴方の死の責任を償え、というものでしょうから」
その理由のためには、ルークに生きていてもらっては困るのだ。また、預言に詠まれたキムラスカの繁栄は、ルークの死を礎にしている。だからこそ、ルークの生存を知れば、キムラスカは、マルクトに知られる前に、せめて、公のものとなる前にとルークを殺そうとしてくるはずだ。
また、預言至上主義である現大詠師モースもまた、ルークが生きていることを知れば、アクゼリュスで『聖なる焔の光』が消滅した事実を捏造するために、刺客を送ってくる可能性が高い。それでは、預言は必然的に起こるものではなく、人が己の手で起こすものになるが、目が曇っている人間の耳には、いかなる言葉も届かないものだ。
それに、ヴァン・グランツのこともある。あの男はルークを欲していた。ルークの力を欲していた。
ルークを手に入れるために、手を打ってくるはずだ。それも阻止しなくてはならない。
「ですから、俺は貴方の身の安全が保障されるまで、貴方の影武者であろうと思っています」
朱色の髪は、それには都合が悪い。ヴァンは目の前のことに興奮していたこともあり、気づかなかったが、他の誰かが髪の色の違いに気づかないとは限らない。
ルークの髪と同じ色の鬘を被れば、よりいっそう、ルークと自分の間の差異は小さくなる。
ルークがヒュッ、と息を飲み、だが、と首を振った。
「それでは、お前の身に危険が及ぶだろう!」
「腕には自信がありますし、何より、俺は貴方を守りたい」
崩落していく大地に恐怖を覚えた自分。その自分の手を握ってくれた、温かい手。
優しいルークを、守りたい。ルークが笑っていてくれるように。
どうか頷いてください、とシュルツは深く頭を下げる。ルークがそんなシュルツにたじろぐ。
ルークの肩に、ガイが、ぽん、と手を置いた。
「ルーク様、シュルツは頑固だと思いますよ」
「だが、こいつには家族があって」
「ええ、ですから、俺も頑張ります。ルーク様も、シュルツも守れるように」
にこりと、ガイが穏やかに微笑む。ルークの肩から力が抜け、呻き声が唇から漏れた。
沈黙が落ち、タルタロスが瘴気の海を進んでいく音が三人の耳朶を打つ。
「…シュルツ」
「はい」
「一つだけ、約束してくれ」
何でしょうか、と顔を上げ、シュルツはルークを見つめた。
ルークの翡翠の目が、真っ直ぐにシュルツの目を見つめてきた。
「絶対に死なないと。必ず、家族のもとに帰ると」
シュルツはルークの目を見つめ返し、ふ、と笑みを零した。ルークの目が、大きく瞬く。
ルークの頬に、シュルツの指先が柔らかく触れた。
「それは、ルーク様もですよ。フリージアのおまじないは、ルーク様も受けてるんですから」
だから、ちゃんと返してあげてください。
微笑むシュルツに、ルークの目も穏やかに緩む。
ガイが笑いながら、ルーク様がフリージアちゃんにキスするのはいいのか、と言った。
「ま…頬くらいなら」
耐えるよ。
喉奥から搾り出されたかのようなシュルツの声に、ガイが噴出し、ルークも釣られたように笑い出す。
すやすや眠るイオンが、うん、と唸り、慌てて、三人は唇の前に人差し指を立て、笑い声を噛み殺した。
「帰りましょう、みんなで」
生きるために、笑うために、守るために。
戦争なんてもので、悲しむ人が出ないように。
三人は頷き合い、コツン、と拳を合わせた。約束の証として。
──窓の向こうに、薄ぼんやりと光りを放つ街が、タルタロスを待っているかのように、浮かび上がった。
シュルツは街にホッと息を吐きながらも、譜業銃に手を添え、これから先、ルークが進む道に待ち受けるものすべてを打ち砕く決意を一人、固める。
ルークの笑顔も、家族の笑顔も、そして、自分自身の笑顔も、すべて失わぬために。
END
というわけで、「カーマインバレット 」最終話でした。
リクエストには、ディストやギンジの出番もあったんですが、詰め込めなかった…。そのあたりが残念ではありますが。
ルークがかっこいいリクエストを頂いて、いろいろ考えるのが楽しかったですー!
モニさんに楽しんで頂けたなら幸いです。