月齢
女性向けブログ。ネタ語りや小説など。ルーク至上主義。
「アッシュと天使たち」シリーズから。
ルーシェ以外の子どもたちのことも読みたいと言って頂けたので、原稿の合間にちょこっと書いてみました。
カノやウインの名前にも、意味があるものの、どこにも書いてなかったな、と気づいたのもありますが。
せっかく考えた名前でもあるので、迎えに行くシーンなんかと絡めて書いていこうかしら、と考え中。
今回は、カノのお話。
注!キムラスカ厳しめ
さら、と顔に掛かる紅い髪を手で掬い、アッシュは眠る子どもの顔を見つめた。子どもの頬には涙の痕が残り、瞼が赤く腫れている。
シーツを強く握り締めている小さな手を見やれば、パジャマの袖から覗く手首に、擦り傷があった。赤い血が滲む細い手首に、眉を顰める。
アッシュ自身、覚えのあるものだった。超振動の実験の際、動きを奪うために椅子に固定されるときの手枷の痕だ。足首にも、同じような傷が残っているはずだ。
(覚えている。今も、忘れられずにいるくらいだ)
アッシュは苦々しく、唇を歪めた。
幼いころの記憶は、成長に伴い、忘れていくものだが、繰り返される実験で受けた心の傷は悪夢となって、この頭に今でも巣食っている。思い出せないのは、楽しい記憶、幸せな記憶。なかったわけではなかろうに、それでも、思い出せるのは、苦痛ばかりだ。
「…ルーク」
幼い自分の姿が、相違なく、眠るルークに重なる。当然だ。この子どもは、かつての自分。
だからこそ、ルークの境遇、心の在り様が、アッシュには手に取るようにわかった。
昔の自分には、助けてくれる手はなかった。救いだと思ったヴァンの手は、結局、偽物でしかなかった。
けれど、この子はまだ間に合う。この子に救いをもたらすのは──この手だ。
「起きろ、ルーク」
そっと肩を優しく揺さぶる。うん、と唸り、ルークが紅い睫毛をゆる、と開いた。
眠りから目覚めたばかりの、とろんとした翡翠の目が、ぼんやりとアッシュを映す。その目は、ルークがアッシュを認識するにつれ、はっきりとした色へと変わっていった。
「っ、アッ…」
「しっ、静かにしろ」
人差し指をルークの唇に押し付け、黙らせる。ルークがこくこくと何度も頷き、口を噤んだ。
にこり、と微笑み、ベッドの縁にアッシュは腰を下ろす。
ルークがのそりと身体を起こし、まじまじと薄闇の中、アッシュを見つめた。
「呼んだだろう、俺を」
「本当に、迎えに来て、くれたのか」
「約束しただろう。どこにいても、迎えに行ってやる、と」
ルークの頭に手を乗せ、優しく髪を梳くように、撫でる。戸惑うように、前髪越しに、ちろ、とルークがアッシュを見上げた。
その目には、まだ躊躇いが残っていた。本当に信じてもいいのか、と。
アッシュは、何度もルークの頭を撫でながら、ルーシェも待っている、と微笑んだ。
「…あの、俺のレプリカか」
「お前を兄と慕っている。早く会いたいと、お前との出会いを待ち望んでいるところだ」
「……手紙を読んだから、知ってる。だが」
翡翠の目が、ベッドに落ちる。顔も俯き、紅い髪が、さらりと揺れた。
黙し、ルークが口を開くのを待つ。ルークが、二度、三度と唇を開いては、閉じ、やがて、ゆっくりと顔を上げた。
「本当に、俺は兄になんて、なれるのか?会っても…失望させる、だけじゃないのか」
不安に揺れる、声音。視線。瞳。
ルークに、自信がないのは簡単に見て取れた。己の価値を、信じられないのだ。己に己の価値を、見出せないのだ。
ずきりと胸に去来する痛みに、アッシュは目を細め、ルークの華奢な身体を抱き締めた。胸にルークの顔が力なく埋まる。
耳に響くのは、罵り声。化け物と蔑まれ、いずれマルクトを滅ぼす引き鉄を引け、と命じられ、人としての尊厳を認めてくれる声はない。
父はキムラスカのために犠牲になれと自分に命じ、母は病弱を理由に息子から目を逸らし、助けてなどくれなかった。
唯一、希望を見出したナタリアは、己の虚栄のため、地位のためにのみ、ルーク・フォン・ファブレに価値を見出した。ファブレを捨てても、それでも、ナタリアは自分を愛していると言ってくれただろうか、とアッシュは考える。
ナタリアはきっと、そんな悲しいことは言わないでくださいませ、と縋るだろう。ルーク・フォン・ファブレとして、この国をともに導いていきましょう、と。
だから、アッシュという名を呼べ、と言う自分に、貴方はルークですわ、と繰り返したのだろう。
「ルーシェがお前を否定することは、ない」
「どうして、言い切れる…ッ」
「わかるさ」
──俺のルークが、そうだったから。
続きの言葉を飲み込み、アッシュは、紅い髪が落ちる幼いルークの背を、労わるように撫でる。
脳裏を過ぎるのは、たった一人、愛したルークの笑顔。朱色の髪を揺らし、アッシュ、と微笑んで、その両腕を広げてくれた。
自分も辛くて、苦しかったろうに、それでも、笑ってくれた。ぬくもりをくれた。
愛しい、ルーク。愛している、今でも。これからも、ずっと。
(俺のしていることは、罪深いことだろうが)
俺やお前が歩めなかった幸せを、歩んでいく子どもたちが見たいんだ。
焔の宿命を生まれながらに背負いながらも、幸せになって欲しいんだ。
罪は俺が背負うから。罰が俺が受けるから。俺一人が、咎を受けるから。
幸せに、幸せに。願うのは、それだけだ。
自己満足で自分勝手で、傲慢だと、罵るなら罵ればいい。どんな責め苦も甘んじて受けよう。
傷ついた子どもたちが、幸せになれるというのなら。
苦しむためだけに生み出されたような子どもたちが、幸せになれるのならば。
「ルーシェの手紙も、読んだんだろう?」
ビク、と腕の中で、ルークの身体が震える。
ルークに手紙を出していることを知ったルーシェは、自分も、と言い出した。会えないのなら、せめて言葉を届けたい、と。
覚えたばかりの文字や言葉で、思いの限りを綴った、ルーシェの手紙。それは、ルークにとって、掛け替えのない優しい焔となったはずだ。
ルークが、俺は、と喘いだ。
「俺もあの子も、お前を見捨てることはない。裏切ることもない」
「っ」
「おいで、ルーク。一緒に、おいで」
ルークの手が、ぎゅ、とアッシュの服を掴んだ。縋るような、怯えるような手に、慈しみのこもる笑みを向ける。
ルーシェが満面の笑みで、お前を待っているから、そこまで、一緒に行こう。
一緒に、帰ろう、とアッシュはルークの背中で手を弾ませた。
「かえ、る?」
「そうだ。お前の帰るべき場所に、帰るんだ」
「…帰る、のか、俺は」
「ああ、ルーシェのところに、帰るんだ」
「…帰る」
そうか、とルークがゆるりと息を吐いた。翡翠の目が、やんわりと緩む。
温かな幸せが溢れる場所、そこがお前の帰る場所だと、アッシュは微笑む。
こくん、とルークが頷いた。
「そうだ。お前に新しい名前があるんだ。気に入ってくれるといいんだが」
「新しい名前?…ああ、ルークでは、ばれてしまうかもしれないからか」
「それもあるが、それだけじゃない。お前だけの幸せを掴むために、新しい道を行くために、必要な名だ」
「新しい、道。…どんな、名前なんだ?」
息を吸い、じ、とアッシュを見上げ、新しい名前を告げられる瞬間を待つルークに、アッシュはずっと考えてきた名を与えた。
カノ。
『人生を導く明るい光』という意味を持つ名を。
「幸せへと至る、光溢れる未来に向かうための名だ」
「…カノ」
口の中で、名を繰り返す子どもを、見つめる。
屋敷は静まり返り、何者もアッシュの『迎え』に気づいた様子はない。
近くを見回りの白光騎士が通りがかったが、アッシュの気配に気づける者は、いなかった。
「さぁ、帰ろう、カノ」
手を、差し出す。
子どもが瞬き、アッシュの手を見つめ、すぅ、と深く息を吸い込み、吐き出すと、笑みを浮かべ、小さな手を重ねた。
その日、『聖なる焔の光』が姿を消し、カノという名の黒髪の少年が生まれた。
END
カノの名前はルーン文字からです。