月齢
女性向けブログ。ネタ語りや小説など。ルーク至上主義。
鬘を被った上で、深くフードを被り、シュルツはザッと装備と荷物を見直した。特に問題はない。愛用の譜業銃も、しっかりと腰のホルスターに収まっている。
パシンッ、と左手の拳を右の手のひらに叩きつけ、グローブの具合も確かめる。
こちらも、問題はない。
ルークたちの方も準備は整っているらしく、シュルツが視線を向ければ、頷きが返ってきた。
ルークも同じく鬘を被り、マントについたフードを被っているため、口元しかわからないが、緊張が引き結ばれた唇に窺える。無理もないか、とシュルツはガイと目を合わせた。視線で、互いにルークのフォローをしあうことを、確認する。
鬘を被ったルークは、ますますシュルツと区別がつかぬほど、似通っていた。お互い、揃いのマントを纏っている今、双子だと言っても、通用するはずだ。
「それじゃ、そろそろ行きますか」
「ああ」
「…でも、その前に」
壁に身を隠し、こちらの様子を窺っていた弟妹たちを、シュルツは手招きして呼んだ。
タタタッ、と四人、揃って駆けてくる。心配そうな弟妹たちに、にっこりと大きな笑みを向け、シュルツは順に頭を撫でた。
「何かあったら、叔母さんとこ行けよ、アンスル」
「わかってる、いつものことだしね」
「まあ、明日か明後日には母さんたちも帰ってくるはずだし」
「…ルークお兄ちゃん」
くい、とフリージアに袖を引かれ、しゃがみこむ。すれば、フリージアが爪先で立ち、背伸びをし、シュルツのフードを掴むと、その下の右の頬に、チュ、とキスをした。
ふ、と微笑み、シュルツもフリージアの右の頬へと、キスを返す。ちゃんと帰ってきてね、と寂しそうで、不安そうな声音に、シュルツは当たり前だろ、とフリージアを軽く抱き締めた。
「本当、仲いいなぁ」
「今のは、おまじないみたいなもんだけどな」
「まじない?」
きょとん、と首を傾ぐガイとルークに、シュルツ一家は揃って笑う。フリージアがトトト、と進み出て、ルークにしゃがんでください、と愛らしく小首を傾げ、願い出た。
不思議そうにしながらも、ルークがフリージアと視線が合うまで、腰を屈める。フリージアの小さな手が、今度はルークのフードを掴み、ルークの頬にふっくらとした唇を落とした。
「気をつけてくださいね、ルーク様」
「あ…ああ、ありがとう」
呆気に取られるルークに、にこりと微笑み、タタッ、とフリージアは兄たちのもとへと戻っていく。くす、と笑い、シュルツは、いってきます、と弟妹たちに背を向けた。
「おい、シュルツ。今の…」
「まじないです。右と左、二つで一つになるキスを任務に出るときにするんですよ。必ず、無事に帰ってきますようにって」
なるほど、と頬を押さえ、頷くルークに、目を細め、笑う。だから、と続ければ、ルークがフードの下からシュルツへと目を向けた。
「帰りにも、もし都合があったら、うちに寄ってください」
「今度は左の頬に、フリージアちゃんのキスをルーク様が受けられるように、か?」
「そのとおり」
ここはルーク様の帰るところではないけれど、貴方の無事をあの子たちが祈っているのは本当だから。
ルークが目を瞠り、こくりと頷いた。その唇には、嬉しそうな笑みが滲んでいた。
*
アクゼリュスの入り口に差し掛かったところで、シュルツはそれはそれは深いため息をガイとともに零した。
長い、それは長い道のりだった。ここまでの道中、何度、魔物や和平妨害の刺客に向けた銃口を、ティアやジェイドへと向けかけたか、数知れない。
少なくとも、両手の指では足りないほどだ。ガイも剣を握る手がぶるぶると震え、耐えている場面を見たのは、一度や二度ではない。
ここまでの道中で、シュルツは自分の忍耐力が大幅に上がったような気がした。だが、寛容さがあがった気はしない。
彼らの所業、すべてを許せるような者があれば、それは度がつくほどのお人よしくらいだ。
「前にアクゼリュスまで護衛を頼まれて来たことあったけど…なんか凄いことになってんな」
アクゼリュス全体を覆うかのような紫がかった空気に、眉間にきつく皺が寄る。見るからに、不穏な雰囲気が漂っている。あれが、瘴気だろう。
アクゼリュスに残っている民たちを思えば、ここでのんびりしているわけにもいかない。本音を言えば、ルークを連れて、瘴気の海に入っていくのは遠慮したかったが、ルーク自身がアクゼリュスの民を安心させたいからと、行く決意を固めてしまっている。
効果があるかどうかはわからないですが、とシュルツは荷物の中からマスクを人数分取り出し、全員に渡した。
「瘴気を吸わないに越したことはないだろうし」
「ありがとう、シュルツ」
「用意がいいのね」
「…そりゃね」
仕事が決まってから、準備期間は半日しかなかったが、シュルツがした下準備の一つとして、ケセドニアの医師からの瘴気の知識の仕入れが上げられる。知識は武器となるものであり、また、身を守るものでもあるからだ。
瘴気に関して、医師も詳しいわけではなかったが、ないよりはマシだろう、と全員分のマスクを用意してくれた。
他にも、手を回しておいた下準備がうまくいくといいんだけど、とシュルツはデオ峠を見下ろし、目を眇めた。ルークに頼まれ、手を回したのだが、問題はないはずだ。
空を舞う一羽の鷹を見上げ、シュルツは一人頷く。
「行こう」
マスクを着用し、口と鼻を覆ったルークが、決意を翡翠の目に宿らせ、足を踏み出す。シュルツはガイとともにルークの脇を固め、アクゼリュスへと向かった。
この先に、何が待ち構えているのか。瘴気の渦は、嫌な予感をシュルツへと抱かせた。
──親善大使一行を待ち構えていたのは、予想以上の惨状だった。
瘴気の薄い上層で働いていた者たちには、軽症の者もあり、自ら動くことも出来ない重症者の看病に当たっているが、一刻の猶予もないことを、シュルツたちへと知らしめるには、十分なほど、瘴気障害を起こしている者が大勢いた。
アクゼリュスの民のほとんどが瘴気障害に掛かっていると言っても過言ではない。
ごくりと、ルークが唾を飲み込み、震える拳を握り締めているのが、シュルツの目に留まった。預言に詠まれているせいで、屋敷からろくに出たことがないのだと、ここまでの道中、言っていたのを思い出す。
その彼に与えられた初めての公務が、親善大使であり、このアクゼリュスへの慰問では、あまりに重い。これほどの病人など、見たこともないはずだ。恐ろしいと思うのも、仕方がない。
地位を考えれば、十二分ではあるが、経験があまりに浅いのは、わかりきっていることだ。せめて補佐をつけるべきであろうに。
だが、ルークのアクゼリュス派遣が、預言成就が目的であることを考えれば、補佐も護衛も必要ないというのが、キムラスカの本音だろう。優秀な人材を死地に赴かせる馬鹿がどこにいる。きっとそういうことだ。
シュルツは拳を握りこんだ。手に嵌めたグローブが、ぎゅ、と軋む。
一度、深く息を吐き、ぽん、と蒼ざめた顔をしたルークの肩に手を置いた。
「ルーク様、とりあえず、責任者に会いに行きましょう。避難指示をするにしても、まずは現状を把握しないと」
「あ、…ああ、そうだな」
「カーティス殿もそれでいいですね」
「ええ、構いませんよ」
眼鏡のブリッジを押し上げ、ジェイドが頷く。ティアがそんなのん気な、と小さく舌打ちしたのが聞こえたが、シュルツは意に介さなかった。
そう思うのならば、行動してみせればいい。けれど、ティアは動かない。所詮、口先だけだ。相手にする価値などない。
ルークたちの到着を聞きつけた責任者らしき男が、駆けてくるのが見えた。そして、シュルツたちは場所を宿へと移した。
マスクを外し、顔を見合わせる。多少の危険はあろうとも、きちんと表情を見せた方がいい、とルークが言ったからだ。シュルツは混乱を招かぬようつけたままだが、ルークは鬘も外している。
聞き出したアクゼリュスの現状は、やはり酷いものだった。
「とにかく、今は避難させられる者から避難させた方がいいだろうな…」
ルークが眉間に皺を寄せ、そのための人手は?と責任者の男に問う。ヴァン・グランツが先遣隊を率いて来ていたはずだが、と。
それが、と酷く言いづらそうに返された答えは、先遣隊は第14鉱道に向かったのだが、連絡が取れなくなった、というものだった。
シュルツもまた眉間に皺を刻み、考え込むように米神を曲げた指の関節で擦った。
(やーな感じだなぁ…)
探しに来い、とでも言っているかのようだ。第14鉱道には何が、とガイが訊く。そこから瘴気が漏れ出したようで、と答えがあった。
ますます、嫌な予感ばかりが募っていく。何かある、ということだろう。
ルークがぽつりと、シュルツとガイにだけ聞こえるように、そこにヴァン師匠が一人で来いと言っていたと囁いた。シュルツの眉間の皺が一本増える。
「ジェイド、マルクトからの救援は?」
「タルタロスを六神将に奪われてしまった上、乗員を皆殺しにされてしまいましたからねぇ」
肩を竦めて答えたジェイドに、ルーク、シュルツ、ガイの三人は揃って首を傾げた。質問の答えになっていない。
そればかりか、タルタロスを奪われた上、部下を殺されたというのが本当ならば、その艦の指揮官は軍事裁判に掛けられてもおかしくないというのに、ジェイドは平然としている。
噂は本当だったのか、とシュルツは眉を顰め、内心、嘆息する。
ジェイドにそんな三人の疑問に気づいた様子はなく、まるで、失われたタルタロスも部下の命も、些事だと言わんばかりに、飄々とした態度を崩さない。
三人は異質なものでも見るかのように、ジェイドを見つめた。
「…つまり、マルクトからの救援はないということか」
「六神将の妨害がなければ、問題なかったんですがね」
頭が痛くなってきた。シュルツはううん、と喉奥で呻き、天井を仰ぐ。
ルークも米神を指先で押さえ、キムラスカ側からの街道通行の許可が出たはずだが、と呟いた。だから、マルクトにキムラスカ側の街道を使って、救援を送ってくれと依頼できたはずだ、と暗に言っている。
けれど、ジェイドはルークこそが物分りが悪いとでも言いたげに、小馬鹿にするように鼻を鳴らしただけだった。ティアもどこまで話を理解していたのかは知らないが、ジェイドにつられるように、ルークを馬鹿にするように口の端を歪めている。
シュルツは責任者である男の身体が、ぶるぶると震えているのに気がついた。顔が憤怒で真っ赤に染まっている。
(当たり前だよな、そりゃ)
アクゼリュスは昔からキムラスカとマルクトの間で、頻繁に所有権が争われている土地であり、以前は、キムラスカ領であったこともある。
だが、現在はマルクト領に当たる。にも関わらず、その母国から何の救援も送られてきていないとなれば──怒り心頭に発するのも当然だろう。
「…マルクトの対応、よくわかった」
ルークがすっくと椅子から立ち上がり、後退した生え際まで顔を赤くしている責任者へと向き合った。ルークの視線の強さに、男が息を呑む。
屋敷に軟禁されていた故に、世知にこそ疎いが、ルークは人の上に立つということを知っているのだと、シュルツは感嘆を持ってルークを見つめた。
「アスター殿を通じて、ケセドニアの全ギルドに救援の要請をしてある。もうじき、傭兵部隊が救援に訪れるはずだ。シュルツ、予定ではいつごろだと言っていた?」
「そうですね。…あと一時間もすれば揃うでしょう」
「だ、そうだ。通達を頼みたい。瘴気障害の軽症な者は重症患者の分も荷物を出来るだけ纏めてやって欲しいと」
「ハッ!かしこまりました…!」
マルクトの杜撰な対応を目の当たりにした直後なだけに、ルークの対応に男は感極まったように目を潤ませ、深々と頭を下げると、早速とばかりに宿を飛び出していった。
初耳ですが、とジェイドが眼鏡のブリッジを押し上げる様に、今度はルークがふん、と鼻を鳴らした。
「世間知らずの俺がすることくらい、すべてお見通しだろうと思ったんでな」
ぐ、とジェイドが口ごもり、視線を落とす。ティアが不快そうにルークを睨み、ガイが剣呑な視線を飛ばした。
苦笑交じりに、がしがしと頭を掻き、シュルツはジェイドの前に立った。何ですか、とジェイドが面白くなさそうな顔でシュルツを軽く睨んだ。
「あんたも行ったほうがいいんじゃないかと思ってね」
「どういう意味です?」
「あんたが救援要請を新たに送らなかったことで、マルクトはアクゼリュスを見捨てたとあの責任者は思ってる。その一方、ルーク様はケセドニアで救援要請を依頼済み。頭のいいあんたなら、ここまで言えばわかるだろ?」
に、と唇を吊り上げ、笑う。サッとジェイドのただでさえ、色の白い顔から血の気が引く。
アクゼリュスの民は、口々に広めていくだろう。マルクトは自分たちを見捨てたのだと。それが広がっていけば、マルクトの民は皇帝へと不信を抱くことになる。
ジェイドが慌てた様子で宿を飛び出し、男の後を追った。そんなジェイドを、ティアが呆然と見送る。
「あなた、何を…!」
「俺は至極当然のことを言っただけだ。で、お前はこれからどうするんだ」
「どうって…アクゼリュスの人たちを救助するに決まってるでしょう!」
ガイから聞いた話では、ティアの仕事はルークの護衛であるはずだ。だが、彼女の中では、ルークの護衛など綺麗さっぱり忘れ去られているらしい。
そうでなければ、戦え、などと口うるさく、ルークを罵り続けるわけもなかったか、とシュルツは内心、失笑する。
不意に、宿の扉がノックもなしに開き、神託の盾騎士の軍服を纏った男が姿を見せた。ス、と腰の譜業銃に手を掛ける。ガイもまた、剣の柄を掴み、ルークを背に庇った。
が、男はルークには目もくれず、ティアを視界に納めると、彼女の名を呼んだ。
「ティア・グランツ響長でありますか?」
「え?ええ、そうだけど」
「お話が…」
警戒を眉間に漂わせながらも、ティアが男に近づいていく。男がティアへと何かを耳打ちし、ティアが顔色を変え、頷いた。
くる、とルークに向いたかと思うと、ティアは男についていく、と言い出し、ルークが眉を跳ね上げた。
「何のために」
「教団の任務よ。これ以上は言えないわ」
そう言い放つと、ティアはそそくさと男とともに宿を出て行く。呆気に取られ、シュルツはため息を零すことしか出来なかった。
ほんの一瞬前まで、あの女はアクゼリュスの民を救助するのだと息巻いていなかったか。それを鶏のごとく三歩で忘れ、教団の任務を優先させたティアに、呆れて物も言えない。
つくづく理解しがたい思考回路をした女だ。可愛いフリージアがあの女に会うことがなくて本当によかった。
鉱道で岩が崩れて、その下敷きにでもなってくれないものだろうか。シュルツは一瞬、本気で願った。
「あー…。まあ、何はともあれ、邪魔者がいなくなったところで」
ちょっと話をしませんか、とシュルツは呆気に取られたままのルークとガイに微笑んだ。
二人がきょとん、と瞬き、揃って首を傾げた。
*
第14鉱道の奥へと踏み込んだルークは、ギクリと身体を強張らせ、足を止めた。顔から血の気が引いていくのがわかる。
開けたその場所には、多くの死体が転がっていた。そのどれもがキムラスカの軍服を纏っている。キムラスカから派遣されていた先遣隊だ。
「……」
しゃがみこみ、死体を確かめる。マントの裾が、地面に擦れる。
瘴気障害で死んだわけではないのは、一目で知れた。
肩から袈裟懸けの形で、深く斬り付けられたのが、そのまま致命傷となったらしい。
他の遺体にも、刀傷や譜術による傷が見られる。全員が全員、ろくな抵抗も出来ずに殺されたのだとすれば、よほど腕の立つ者がいたということだ。
「来たか、ルークよ」
「…ヴァン師匠」
ぬぅ、と鉱道の最奥、暗闇から姿を見せたのは、長身の男、ヴァン・グランツだった。転がる死体に目もくれず、歩み寄ってくるヴァンをルークは戸惑うように視線を揺らし、見上げる。
ヴァンがルークを安心させようとするかのように、大きな笑みを顔に浮かべた。
「彼らは、どうしたんですか…?」
「うむ、和平を快く思わぬ使者が奥で待ち構えていてな…。賊は皆、仕留めたのだが、私以外は…」
沈痛な面持ちで眉根を寄せ、ヴァンが残念そうに首を振る。ルークの肩を大きな手が掴み、こちらに、と引き寄せるようにして歩き出した。
お前に見せたいものがあるのだと、優しげな微笑を浮かべている。
「俺に、ですか?」
「ああ、そうだ。秘預言のことは話しただろう?預言のとおりならば、お前が破壊せねばならなかったものがそこにあるのだ」
だが、その心配はいらん。
ヴァンが励ますように、笑みを深める。大きな手、逞しい腕、おおらかな笑み。それらは、確かに、子どもを安心させるには有効なものだ。
だが、それには場所が悪すぎた。暗く澱む瘴気が立ち込めた死体が転がる鉱道では、ヴァンの余裕が溢れた態度は、いっそ不気味なほどだった。
それでも、ルークはヴァンにちらりと笑みを返す。素直な弟子の態度に、満足そうにヴァンが深く頷いた。
「さぁ、こっちだ」
ルークが連れて行かれたのは、薄っすらと発光する扉の前だった。そのすぐ横に、酷く顔色の悪い子どもが立っている。
薬でも嗅がされたのか、空ろな眼差しが、ぼんやりとルークを映した。
「さぁ、導師イオン。扉を開けて頂きましょう」
口調こそ丁寧であったが、居丈高な声音は命令そのもの。イオンはふらふらとよろめくように扉の前に立ち、両手を扉へと翳した。
ぶつぶつと呪文のようなものを呟き、第七音素を集めていく。術はやがて完成し、扉は綺麗に消え去った。
ふらりとイオンの身体が大きくよろめき、ルークは慌てて、倒れる寸前で、その華奢な身体を受け止めた。
「大丈夫か…?!」
「何、心配はいらない。ダアト式封咒を解いて疲れただけだろう。さぁ、ルーク。中へ行くぞ」
上司であるはずのイオンに、もう用は済んだとばかりに視線を向けもせず、有無を言わさぬ態で、ヴァンがぐ、とルークの腕を掴んだ。掴み上げられ、歩き出すヴァンに、イオンを気にしながらも、ルークは無理矢理連れて行かれる。
ヴァン師匠、と呼びかけるが、ヴァンは大丈夫だ、と笑うだけだ。その蒼い目が、ぎらぎらと光っている。
翡翠の目を困惑で瞬かせ、ルークは引かれるままについていく。
辿り着いた先に、キラキラと音素が煌く譜業があった。見たこともない大きな譜業だ。
大量の第七音素を、ルークはそれから感じ取った。
「ここは…?」
「ここはセフィロトだ。そして、あれはパッセージリングと呼ばれるもの。セフィロトから噴きあがる記憶粒子を利用し、セフィロト・ツリーを作り出しているものだが…簡単に言えば、大地を支えるものだ。この外殻大地をな」
「外殻大地…?」
聞き慣れぬ単語の連続に、ルークはただただ困惑する。わかったのは、目の前の譜業が大地を支えるものだということくらい。つまり、これに何かがあれば、大地は崩れるかもしれないということだ。
頭を、授業で習ったホド戦争が過ぎる。ホドの崩落。あれは、戦争によって起きたとされているが、このパッセージリングとやらが壊れたからなのではないだろうか。
だから、もし、目の前の譜業が壊れたら、アクゼリュスは。
「お前はな、ルーク。このパッセージリングをお前が生まれ持ったローレライの力──超振動によって破壊することでアクゼリュスを崩落させ、消滅するために、キムラスカから送られたのだ」
「……あ」
「だが、心配はいらない。私がお前を死なせはしない。助けてやろう。救ってやろう。お前の代わりに譜業爆弾でパッセージリングを破壊し、お前はここで死んだことにするのだ。キムラスカは愚か者ぞろいだからな。確かめもせずに預言を鵜呑みにし、お前は死んだものだと信じ込む。そうすれば、お前は自由だ」
甘く囁くように、ヴァンが言う。ルークは縋るような目をヴァンへと向けた。
ヴァンが緩く首を傾げ、微笑んだ。
「そして、私とともに来なさい、ルーク。私にはお前が必要なのだ」
「師匠…」
「お前の力はこの世で唯一のもの。お前の価値を知っているのは、私だけだ」
何の心配はいらないと、ヴァンは耳に甘い言葉を囁き続ける。父に愛されたことのない子どもに、父親のように穏やかで逞しい笑みを注ぎ、頭を撫でて、甘く甘く、囁き続ける。
いい子だ、ルーク、とヴァンがルークに向かって、手を差し出した。
「さぁ、私の手を取りなさい。ここからがお前の本当の人生だ」
私とともに生きる未来こそが、お前の未来だ。
ヴァンが、笑う。
ルークはぱちぱちと瞬き、手を伸ばした──その手には、マントで隠した腰に提げた銃が握られていた。ヴァンの厚い胸へと、銃口を向ける。
ヴァンの蒼い目が、く、と驚愕に見開かれた。
「つまり、あんたも超振動の力が欲しいってことだろ?」
「ルーク…?!」
「師匠なんてよく言ったもんだぜ。俺とルーク様の違いに気づかなかったくせにな!」
──朱色の髪を弾き、躊躇いなく、ルーク・シュルツは引鉄を引いた。譜業銃の銃口から、音素の弾が吐き出される。
ヴァンは身体を捻り、胸への直撃を避けたが、音素の銃弾はヴァンの左肩を吹き飛ばし、肉を抉った。
噴き出した血が、シュルツの頬に掛かる。
ヴァンが舌打ちし、腰の刀に手を伸ばすが、セフィロト内部は狭く、長剣を振るうには向いていない。シュルツは銃を右手に握ったまま、利き手である左手で拳を作り、ヴァンの左肩へと叩きつけた。
傷口を抉られ、ヴァンが呻く。その手が、剣の柄から離れた。
お次、とばかりにシュルツは足の爪先を、ヴァンの腹へと勢いよく蹴り上げた。ヴァンがそれを右手で受け止める。が、シュルツの靴の先には鉄板が埋め込まれているため、ヴァンの右手は痺れ、よろめきながら後退した。
「ぐ…貴様、何者だ…!」
「俺の名はルーク・シュルツ。ルーク様の護衛だよ。覚えとけ、おっさん」
にぃ、とシュルツは口の端を吊り上げた。
──シュルツが宿でルークへと提案したのは、『入れ替わり』だった。髪の色に差異はあれど、自分とルークが双子と見間違うほどによく似ていることから思いついたものだった。
ルークに秘預言を教え、救いたいのだと嘯いたヴァンに、何かしらの企みがあることは、具体的な内容まではわからずとも、そのくらいは容易に推測がついた。特に第14鉱道に来い、ということは、そこに何かがあるということだとも、簡単に推測が成り立つ。
それを探る必要はあったが、当然、シュルツにもガイにも、ルーク本人を行かせるつもりなどなかった。だからこそ、こうしてシュルツは影武者となり、傭兵部隊によって救援がほとんど済んだのを見計らい、一人で第14鉱道まで来たのだ。
ルークがガイすらつれず、一人で現れたことに疑問を抱く様子もなかったところを見るに、よほど興奮していたらしい。或いは、ルークが自分の命令に従わぬわけがないと、己を過信でもしていたか。
馬鹿な男だと、シュルツは嘲笑う。
「で、おっさん。ルーク様を手中に収めようとした目的は何だ」
「……」
「言えよ」
ス、と翡翠の目を細め、シュルツはまた引鉄を絞った。撃ち出された音素の塊が、ヴァンの足の甲を貫く。
蹲り、憎憎しげに睨んでくるヴァンを、シュルツは眇めた目で見下ろした。
「うちの家訓の一つでね。敵には容赦すんなってのがあるんだよ。…さっさと吐けよ」
譜業銃へと、また音素を込める。くく、とヴァンが喉奥で笑い出した。
眉を上げ、ヴァンを睨む。
「レプリカでもないのに、貴様ほど似た人間がいるとはな…」
「レプリカ…?」
また聞き慣れぬ言葉だ。今度は意味はわかるが、何故、ここでそんな単語が出てくるのかがわからない。
そのとき、シュルツの耳にバタバタと駆けてくる複数の足音が聞こえた。──この場では聞きたくなかった声も、聞こえてくる。
シュルツは思わず、舌打ちした。
「兄さん…!馬鹿な真似は止めて!」
教団の任務とやらで姿を消していたはずのティアの声だ。耳を澄ませば、ジェイドの声もある。
さらに、その集団には、知らぬ幼い少女の声や、これまた聞き覚えのない上流階級の口調を操る少女の声も混じっている。
一体、何事だと思いながらも、シュルツは目の前のヴァンから銃口を逸らす真似はしない。何か動きがあれば、すぐにでも引鉄を引くつもりだった。
──けれど、さらに続いて聞こえた声に、シュルツの意識は、一瞬、逸れた。
「待て、ナタリア!」
「な…、ルーク、様…?!」
ここに一番来てはならない人の声に、シュルツは思わず、動じる。銃口が、下を向く。
その隙を待っていたかのように、ヴァンがにたりと笑い、懐に両手を入れたかと思うと、右手でナイフをシュルツに向かって投げつけ、左手を高く振り上げた。
咄嗟に顔を庇った左腕に、ナイフが深く突き刺さる。しまった、と思ったときには、ヴァンの左手から放たれた小さな箱が、ぽーん、と放物線を描き、パッセージリングへと向かって飛んでいく。
譜業爆弾か、とシュルツが判断を下したときには、それはパッセージリングに当たり──爆発、した。
「ッ!」
ゴオォン…!
轟音が轟き、シュルツの鼓膜を劈く。ぐぅ、と呻き、飛んでくる破片から頭を庇うため、しゃがみこむシュルツの耳に、ヴァンが口笛を吹く音と、高らかに笑う声が酷く遠くからのように聞こえてきた。
バササッ、と羽音が麻痺した鼓膜に、微かに聞こえる。
「…なん…ッ」
「シュルツ…!」
ルークの声が、セフィロトに響く。それはシュルツの耳にも届き、シュルツは頭を振り、立ち上がった。
フレスベルクに掴まったヴァンが、宙に浮いている。譜業銃を向けたが、あまりの轟音に聴覚が麻痺しているせいで、うまく狙いが定まらない。
脳がぐらぐら、揺れているかのようだ。
「くそ…!」
「お前が本物のルークだな!」
フレスベルクがもう一体現れ、ルークへと向かう。それをガイが剣で追い払い、ルークを背に庇った。
シュルツ、とルークが蒼ざめた顔で、叫んでいる。抜けば血が溢れ出すな、と左腕に刺さったナイフをそのままに、シュルツはヴァンを睨みつけた。
「どうして、兄さん!外殻大地は存続させるって言ったじゃない!」
「ティア、お前はわかっていないのだ!…助かりたいならば、譜歌を歌え…!」
そう言い残し、ジェイドが詠唱を終える前に、ヴァンが高く高く上っていく。
その姿はあっという間に見えなくなり、ズズズ、と地響きが全員の身体を揺らした。シュルツの脳裏に、ヴァンが語ったパッセージリングの役割が浮かぶ。
「っ、まずい…!大地が、アクゼリュスが崩落する…!」
早く逃げないと!
シュルツは叫ぶ。だが、アクゼリュスの出口に辿り着けるとは思えぬほど、揺れが酷い。
ティアが焦りながらも、私の周りに!と声を荒げ、譜歌を歌い出す。ぽぅ、と床が光り、陣が浮き上がった。
「シュルツ、早く!」
ルークの懇願するような声に頷き、シュルツは駆け出し、その陣の中へと飛び込んだ。
大地が割れるかのような音が鳴り響き、見る間にセフィロトが崩れていく。
アクゼリュスが崩落していく──ホドのように、と誰かが低く、呟いた。
NEXT