月齢
女性向けブログ。ネタ語りや小説など。ルーク至上主義。
カレンダーを見やり、ノエルは、ふ、と息を吐いた。
明日で、ノアがちょっと用事があるから、とダアトへと出かけていって、五日目になる。
一体、いつになったら帰って来るのだろう。
牛乳をたっぷりと注いだカフェオレを啜り、扉を見やる。開く様子は、ない。
(ノアさんのことだから、心配いらないとは思うけど)
戦争も終わり、平和が訪れたオールドラントで、危険なものと言えば、昔からそうであるように魔物や盗賊だが、ノアが彼らに後れを取るとは思えない。
何しろ、メジオラ高原で数多くの被害を出してきたブレイドレックスでさえも、ノアは一撃のもとに叩きのめしたほどの腕前を誇っているのだ。
イニスタ湿原のベヒモスも、ノアの敵じゃないだろうな、などと噂されているのを、ノエルは知っている。
カップを持ち、次は窓へと視線を移す。ノアの姿は、どこにも見当たらない。
近所の主婦たちが集まっているのが、少し先に見えた。世間話でもしているのだろう。
そういえば、とノエルはお茶菓子にと用意したクッキーに手を伸ばし、サクッ、と齧った。
バターの香りが、甘みとともに口の中に広がり、水分を奪っていく。
(しっかり、手綱を握っておかないとダメよ、なんて、言われたっけ)
浮気の心配でも、されたらしい。というより、少しはしろ、ということかもしれないが。
だが、ノエルはその心配もいらない、と思っている。ノアは、そんな人ではない。
そう彼女たちに言えば、「相変わらず、熱いのね、二人とも」と茶化すように言われたのも思い出し、ノエルの頬はほのかに上気した。
(…心配は、してないの)
カフェオレをこくりこくりと啜り、ノエルは、ほぅ、とため息を吐いた。
心配はない。ノアのことだから、ひょっこり、ただいま、と帰って来るはずだ。
ただ──少し、寂しい。
「…顔、見たいな」
声も聞きたい。
笑う顔が見たい。笑い声が聞きたい。
会いたいな、とノエルは呟く。
まだ五日。されど五日。
一日一日が、切ないほどに長く感じられてならない。
「早く帰ってきてください、ノアさん」
ノエルは静まり返った部屋の中で、寂しそうにノアのいない椅子を見つめた。
*
カレンダーを睨み、ノアは腹の底からため息を吐いた。
今日でとうとう五日が過ぎてしまった。五日もノエルの顔を見ていないのか、と思うと、またため息が口から漏れるのを止められない。
ノエルにバレンタインだから、と贈り物をもらってから、グランコクマでアスランから聞き出した、お返しをする日。
ホワイトデーと名づけられた、その日は、とうに過ぎている。
ああ、もう、とノアはもどかしげに頭を掻いた。黒髪がくしゃくしゃに乱れる。
「あと少しなんだけどなぁ…」
あと少し、あと少しで出来上がる、目の前の自鳴琴。
ノエルに気づかれぬよう、シェリダンで作業するのを避け、音素に溶けて、毎夜のようにダアトへと訪れては、ディストの協力のもと、ここまで何とか作り上げた自鳴琴は、あと僅かな調整を残して、ほとんど出来上がっていた。
ノアが自分でデザインし、彫刻し、色をつけた自鳴琴を収める箱も、側に転がっている。
そう、残すところは、音色の調整だけなのだ。その調整こそが、不器用なノアには、厄介なのだが。
何とか形にはなったものの、楽譜の役目を果たす小さな突起が幾つもついたシリンダーに引っかかり、音を奏でる櫛歯の調整が難しかった。
おかげで、手や指のあちこちに、火傷や傷が出来ている。痛むものは、治癒術をかけているが、気にするほどではないのなら、ノアは傷を治す時間も惜しんだ。
自鳴琴は、ネジを捻れば、それらしいメロディが流れることは流れたが、ところどころで音が外れ、何とも間の抜けた演奏になってしまっている。
音色が可憐なだけに、嫌な哀愁が漂っているのが、切ない。
「こんな物悲しい音色を奏でるようなもんじゃ、ダメなんだよ」
おそらく、こんな残念な出来の自鳴琴であっても、ノエルならば、喜んでくれるだろうが、自分が納得いかない。
ノエルは、大切な大切な恋人だ。自分よりも大切だと、そう言いきれるほどに大切な人。
だから、贈るのならば、心から納得のいったものを、贈りたい。
「…気持ちはわかるが、根を詰めすぎだろう」
ため息混じりにノアを諌めたのは、アッシュだった。いろいろな工具やら器具やら譜業やらが転がっている、ディストの作業場の合間を縫い、ノアへと近づいてくる。
その手はトレイを掲げていて、上には、ほこほこと蒸気を立ち昇らせるカップとチョコレートが乗っていた。
鼻腔を擽る匂いに、カップの中身がミルクティらしい、とノアは気づいた。
「少しは休め」
「だけど、もう五日目なんだぜ、アッシュ」
「目の下に隈も出来てるぞ。…そんな顔して、帰ってみろ。ノエルは喜ぶどころか、怒るんじゃないのか。無理をしすぎだと」
眉をひそめるアッシュに、う、とノアは言葉に詰まる。
アッシュのそれは、正論に聞こえた。
はぁ、と深いため息を吐き、ノアは項垂れ、テーブルにゴン、と額を押し付けた。
アッシュが苦笑いを浮かべ、ミルクティとチョコレートが乗った皿を、コト、とノアの顔の横に置いた。
「これを飲んで、少し寝たほうがいい」
「うー…」
「アッシュの言うとおりですよ、ノア。睡眠不足じゃ、ろくに集中も出来ないでしょうが」
作業効率が悪くなるだけですよ、と眉を吊り上げ、眼鏡のブリッジを押し上げながら、ディストが言う。離れた場所で、ディストはディストで自分の研究を続けていたのだが、まったく休もうとしないノアに、いい加減、呆れたらしい。
ディストには言われたくないなぁ、とノアは苦笑し、顔を上げた。ディストとて、寝食を忘れて、研究に没頭していることは珍しくない。レプリカネビリムの作成こそは諦めたようだが、シンクや導師イオンのために、レプリカの研究は続けているのだ。
でも、心配してくれたことは嬉しい、とノアはディストに小さく笑み、アッシュへも紅茶の礼を言って、チョコレートを一つ、口に放り込んだ。
疲れた身体と頭に、甘みが染み渡っていくようだ。
「あー…、チョコが美味い」
「疲れてるからだろ」
「紅茶も美味い。これ、高い葉っぱ使ってるだろ、アッシュ」
「イオンから貰ったんだ」
「…導師のかよ。そりゃ美味いわけだ」
ズズ、と香り高い茶葉のミルクティを啜りながら、ノアは、ほぅ、と一息吐く。温かい紅茶が喉を通り、身体が温まっていくと、だんだんと眠くなってきた。
瞼が重い。身体がだるい。
目を擦り、ふわ、と欠伸を零すノアを見かねたように、ディストが研究所の片隅にある扉を指差した。
「あっちに私の仮眠室がありますから、貸してあげますよ」
「ん、悪い。…アッシュ、二時間経ったら、起こしてくれ」
「せめて、三時間は寝て来い。ちゃんと起こしてやるから」
「んー…」
ガタ、と席を立ち、ふらふらとノアは仮眠室へと向かう。背後で、アッシュとディストが顔を見合わせ、ため息を吐きあうのが聞こえた。
あいつらにも、何か礼をしないとなぁ、と霞がかった頭で思う。今回のことでは、ずいぶんと面倒をかけてしまっている。
(ああ、でも、アッシュのやつ、うまくやってんだな、ここで)
イオンを支えてやりたいのだと、アッシュはシェリダンでよりも、ダアトで過ごすことが多くなった。二人がいつの間にそんなに仲良くなったのか、ノアは知らない。
だけど、よかった、と思う。
アッシュも、本当の『陽だまり』を見つけられたということなのだろうから。そして、イオンにとっても、きっとアッシュとの日々は、温かな、心休まる日々なのだろうから。
(俺も、丸くなったのかなぁ)
アッシュが聞けば、どこがだ、と突っ込んでいただろう考えを抱きながら、ノアは扉を開け、仮眠室のベッドへと倒れこみ、そのまま、深い眠りにストン、と落ちた。
夢の中に現れたノエルは、自鳴琴に耳を澄ませ、笑っていて。待ってろよ、ノエル、と眠るノアの唇に、笑みが浮かんだ。
*
アルビオールの整備をしていたノエルに、その知らせを持ってきたのは、子どもたちだった。我先にとノエルを求め、アルビオールをぐるぐると回る。
アルビオールの屋根に登り、作業していたノエルは、子どもたちの騒がしい声に、さら、と金色の髪を揺らし、ひょい、と顔を覗かせた。
「どうしたの?」
上から、子どもたちへと声を掛ければ、一斉に、ノエルへと幼い顔が向く。あのね!と全員が声を張り上げ、アルビオールが収まった倉庫に、子どもたちの高い声が反響した。
一緒に整備に当たっている技術者たちが、目を丸くする。
声は重なり合い、内容が判然としない。けれど、ノエルは、その中で響いた「ノア」という名に、反応した。
「ノアさんが、どうしたの?」
「帰ってきたよ!」
そこで初めて、子どもたちの声が重なった。ノエルの澄んだ目が、見開く。
ぽん、とノエルの肩を叩く手があった。兄であるギンジの手だった。
「家に戻れ、ノエル」
「でも、兄さん」
「あとはおいらたちでやっておくから。ほら、早く」
「そうだよ、ノエルちゃん。ノアに会いたかったんだろ?」
「一週間も会えなかったんだ、寂しかったろ」
「ノエル、さっさと行かんか。ここは、大丈夫じゃ」
ノエルお姉ちゃん、早く!
子どもたちも、ノエルを急かす。ノエルはグローブをつけた手を、ぎゅ、と握り締め、ありがとう、と笑った。
梯子を飛び降りるように降り、倉庫の外へと飛び出す。
向かう先は、一つだった。
作業着は油で汚れ、頬にも煤がついていたが、ノエルはグローブだけを外し、ポケットに突っ込みながら、走る。身なりを整えたい気持ちがなかったわけではないが、これが偽りのない、自分の姿だ。ノアは、それをよく知っている。
だから、汚れた身なりであろうと、ノアのもとへと駆けていくのに、躊躇いはなかった。ノエルの心は晴れやかで、目も輝いている。
背後で、子どもたちがきゃあきゃあと笑う声がする。
(ノアさん…ッ)
はぁ、と荒い息を吐きながら、ノエルはシェリダンを駆けた。頬が上気し、赤く染まる。
目へと伝ってきた額からの汗を、ぐい、と袖で拭う。
走っていく先に、家の前で待っているノアの姿が見えた。
「ッ」
ノエルはこみ上げてくる想いを胸に抱き締め、ノアへと駆け寄る。
ノアもまた、ノエルを見つけ、駆け寄ってきた。
「ノエル!」
「ノアさん!」
広げられた腕へと、ノエルは飛び込んだ。すぐにノアの腕がノエルを抱き締め、ノエルの顔がノアの肩先に埋まる。
スン、とノエルは鼻を鳴らした。鼻腔を擽るのは、ノアの匂い。太陽のような、温かな匂いだ。
温かい腕の中も、心地がいい。
「お帰りなさい!」
「うん、ただいま、ノエル」
満面の笑みを浮かべ、ノエルは自分もまた、ノアの背に腕を回した。ノアの顔にも、笑みが広がっている。
会えたことが、嬉しかった。
お帰りなさい、と言えたことが、嬉しかった。
ただいま、と聞くことが出来て、嬉しかった。
ノアが、ノエルの頬についた煤を手で拭い、プレゼントがあるんだと、微笑む。照れくさそうな笑みに、ノエルはきょとん、と瞬いた。
「プレゼント、ですか?」
「うん」
「でも、どうして」
「ほら、あれだよ。バレンタインの、お返し。…まあ、遅れちゃったけどさ」
ノエルの目が見開く。頬を掻き、ノアが左手に持っていた箱を、ノエルへと差し出した。
リボンが結ばれた木の箱に、首を傾ぐ。受け取り、リボンを解いてよく見れば、それはフタのついた箱だった。
フタの表面には、彫られた音譜が踊っている。端には、ノエル、と自分の名も飾り字で入っていた。
音譜はいびつで、名前も歪んでいたけれど、一生懸命に彫ったあとが窺える、それに、ノエルの顔は綻んだ。
「可愛い箱ですね」
「開けてみてよ、ノエル」
こくん、と頷き、ノエルはそっとフタを開けた。ノエルの唇から、あ、と声が漏れたのは、その直後のことだった。
中から、メロディが流れてきたのだ。ポロン、と透明な響きのある、可憐な音色に、息を呑む。
ノエルの脳裏を過ぎったのは、イシターの屋敷で聞いた自鳴琴の音色だった。あれほど荘厳ではないが、よく似ている。
「これ、って」
「気に入った?」
「もしかして、ダアトに行ってたのって、これのためなんですか…?」
うん、と頬を赤らめ、ノアが笑う。その笑みは、どこまでも優しくて、愛しくて。
ノエルの目に、涙の膜が張った。視界が滲み、頬を次から次へと、涙が伝う。
ノアが目を瞠り、目に見えて狼狽した。
「の、ノエル…?!」
「ノアさん、私」
「うん…?」
「幸せすぎて、どうしたらいいのか…ッ」
手の中の箱からは、可憐な音色が続いている。確か、これは、昔の詩人が愛を謡った詩に、メロディをつけたものだったはずだ。
ノエルは、頬を流れる涙を拭ってくれるノアの指に、火傷や小さな傷の痕が残っていることに気がついた。第七音素師であるノアは、治癒術も使えるが、たいした傷ではないからと、治す時間も惜しんで、この自鳴琴を作ってくれたに違いない。
(本当に、幸せでどうしよう)
この人に恋に落ちて、好きだと言われて、それだけでも幸せなのに。
想いが一杯詰まった、こんな贈りものまで、もらって。
ノアへの想いで、胸が痛い。涙が溢れて止まらない。
「わたしは、しあわせにしてあげられて、ますか?」
「え?」
「私、ノアさんに幸せを、あげられてますか?」
ひっく、と喉をしゃくりあげながら、ノエルはノアを見つめる。
ノアがくしゃ、と顔を泣きそうな笑みに崩し、ノエルを強く抱き締めた。
耳に響いているのが、自分の鼓動なのか、それとも、ノアの鼓動なのか。ノエルにはわからなかった。
「何度、繰り返したって、絶望しか与えられなかった俺に、希望と愛をくれたのは、ノエルだけだ。ノエルがいたから、今の俺がいるんだ。ノエルがいなかったら、俺は壊れてたよ。ノエルがいたから、俺は救われたんだ。ノエルだけなんだ。俺に幸せをくれたのは。──『陽だまり』をくれたのは」
ノアの言葉のすべてが、わかったわけではないけれど、ノアが自分を愛してくれていることは、わかったから。
ノエルはメロディが流れ続ける自鳴琴を大切に手のひらに抱え、ほろほろ、涙を流しながら、笑った。
手の中の自鳴琴と、耳に残るメロディを、一生の宝物にしよう、と心に決め、ノアの胸に頬を摺り寄せ、目を閉じた。
END
周りから、さっさと結婚しちゃえよ、くらいに囃し立てられてればいいと思います(笑)
にやにやしてもらえたなら、幸い。