月齢
女性向けブログ。ネタ語りや小説など。ルーク至上主義。
「朱色の髪の姫君」の後編です。
ナタリアがルークを名乗る決意。
ジェイド、ティア、イオンに厳しめの表現があります。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
注!同行者厳しめ
ひくり、とナタリアの喉が鳴った。華奢な身体を隣に立つメリルが支えていなければ、今にも、ナタリアは倒れてしまいそうなほど、その顔からは血の気が引いている。
現存する治癒魔法をすべて掛け終えた、王家に使える第七音素師が、見るからに疲労し、青ざめた顔に沈痛そうな表情を浮かべ、首を振った。傍らに控えているどこか科学者然とした医師もまた、ナタリアにはわからない器具を片手に、俯いている。
ガイが喉奥から悲鳴じみた呻き声を上げるのを、ナタリアは聞いた。
窓を降り始めた雨が叩き、風がゴォ、と唸りをあげている。
「…ルー…ク?」
クリムゾンやシュザンヌたちが囲むベッドに横たわるルークの目は、どこも見ていなかった。熱に浮かされているような焦点の合わぬ目が、ぼんやりと開かれているだけだ。
呼気は弱く、耳を澄ましても、雨の音が邪魔をし、聞こえない。よろりとよろめきながら、メリルの手を借り、ナタリアはルークへと歩み寄った。
倒れこむようにベッドの脇に膝をつき、ルークの名を呼ぶ。震える指先でまろい頬に触れても、ルークは動かなかった。
「ルーク、ねぇ、どうしましたの」
返事は、ない。ナタリアはふらりと視線を泳がせた。
ガイが泣きそうに顔を歪め、唇を噛み締めている。何も言うことが、出来ないようだった。口を開けば、嗚咽が漏れ出るとでもいうように。
ナタリアの問いに答えたのは、険しい顔をしたクリムゾンだった。
「…急に体調を崩したのです。すぐに第七音素師を呼び寄せ、ベルケンドよりレプリカに詳しい医師も呼び寄せましたが…音素の結合が緩み、乖離し始めてしまっている、と」
「どうにか、なりませんの?」
救いを求めるように、ナタリアはベルケンドの医師へと視線を移す。以前、ナタリアを診たこともある、王家からの信頼も厚いシュウという名の医師は目を伏せ、ゆるりと首を振った。
シュザンヌの息苦しげが喘ぎが聞こえる。ナタリアは自身もまた、同じような呻きを発していることに、気がつかなかった。
「この子は、ルーク様の完全同位体として生まれてきました。それゆえ、強大な力も持ち合わせています。しかし、その力は、第七音素しか持たないレプリカの身には重過ぎるのです。超振動の力を支え持つだけの許容量がない。…音素の結合が不安定なのです。ですから」
その後を、シュウは続けなかった。ぶつりと言葉を切り、静かにナタリアの目を見返してくる。
ナタリアは傍らに膝を下ろしたメリルの腕を、爪を立てんばかりの強さで握り、縋った。メリルがナタリアの手を上から握り、痛ましげに眉根を寄せる。
そんな、とナタリアは喘いだ。
「これから、ですのに…っ」
ルークが戻ってきたら、この子には新しい名前──公式にファブレの次男として、発表されるための名がつけられる手はずが整えられている。ルークの身代わりではない。この子がこの子として生きられる。そのための道は、着々と掘り進められているのだ。
なのに、その肝心のこの子が失われてしまったら。
嫌ですわ、とナタリアは普段の冷静さを失い、幼子のように震え、頭を振った。
メリルが、ナタリア様、とナタリアの肩を抱く。その腕の温かさに縋り、ナタリアは翡翠の瞳を潤ませた。
「駄目ですわ、駄目です…!ねぇ、いけませんわ!」
こんなことは、許されない。
それでは、この子は何の為に生まれてきたのだ。
こんなところで儚く命を失う為ではないはずだ。この子にも未来はあると、ともに生きていく未来があると、そう信じていたのに。
シュザンヌがベッドの脇に膝をつき、子どもの蝋のように白い頬に、震える手を這わせた。
「あなたのために、あなたの父上と一緒に、素敵な名前をずっとずっと考えてきたのよ。ねぇ、あなた」
「ああ。…ああ、そうだ。お前のために、名を考えてきたのだ。フェニー。伝説の不死鳥から取った名だ」
「美しく燃え上がる鳥…フェニー、あなたは気高く、人々を照らす温かな焔になれる子です」
だから、こんなところで死んではなりません。
ほろほろと涙を流し、シュザンヌがレプリカルーク──フェニーの頬に自身の頬を摺り寄せる。シュザンヌが流した涙は、フェニーの頬にも流れ落ち、白い頬を濡らした。
ゆる、とフェニーの目が動く。翡翠の瞳には力がなく、相変わらず焦点は合っていない。ちゃんとシュザンヌたちが見えているのかどうかも、定かではなかった。
唇を戦慄かせ、フェニーが「父上、母上」とか細い声で二人を呼んだ。
「…きたいにそえなくて…ごめん、なさい」
「な、にを、何を言うのです!あなたは…ッ」
「ありがとう、ちちうえ、ははうえ」
もう呂律も回らないのだろう。フェニーの言葉は常以上に拙い。
この子は、敏い子だった。自分がルークではないことを、知っていた。けれど、それでも愛されていることも、知っていた。
荒い息の下、微かに笑む子どもに、シュザンヌの身体が大きく震える。クリムゾンがその華奢な肩に手を置き、苦しげに眉を顰めた。
「…ガイ、ごめん、な」
「…ッ!あや、まるくらいなら…!」
謝罪なんていらないんだと、ガイが呻く。拳を震わせ、青い目に涙を溜め、生きてくれ、と唸る。
大事なんだと、ガイの全身が訴えている。
フェニーが、ガイ、だいすき、と小さく笑んだ。
ぼろりと、抑え切れなくなった涙が、ガイの頬を伝い落ちていった。鼻を啜る音も聞こえる。
「ルー…、いいえ、フェニー」
駄目ですわ、とナタリアはフェニーに劣らず、青白い頬に涙を伝わせ、首を振る。メリルの目にも、涙の膜が張っている。
フェニーが震える手を、ナタリアへと伸ばした。慌てて、その手を握り、目を合わせる。
子どもの茫洋とした翡翠が、ゆるりと細められた。
「…ありがとう、ナタリア」
にこり。無垢な子どもが、笑う。
──その笑みを最後に、翡翠の目は閉じられ、さらり、と。
「あ、あああっ!」
ナタリアの手を握ったまま、レプリカルークの身体はさらさらと溶けていく。音素が乖離し、薄く薄く、なっていく。
誰のものともつかぬ叫び声が、部屋に響き、雨音を打ち消した。悲鳴がナタリアの鼓膜を打つ。
さらさら、さらり。
朱色の髪が、金色に煌き、音素となって砕けていく。
それは、美しい光景だった。この世のものとは思えぬほどに。
悲しいまで、哀しいまでに、美しい光景、だった。
誰もが声を失くし、呆然と目を瞠る。その目からは止め処なく涙が落ちた。
消えていく音素を留めようとするかのように、ナタリアは両手を伸ばした。ふらりとその身体がよろめく。
メリルがナタリアを背後から抱き締め、支えた。
「…あ」
ナタリアは薄れていくフェニーの目を見た。穏やかに、その目が細められていく。
ナタリアの朱色の髪に、ふわりとフェニーから解けた七色の音素が絡みつき、溶け込むように、消えた。
温かい何かが身体の中に入ってくるのを感じながら、ナタリアは意識を手放した。
*
ふ、とナタリアは目を開けた。心の底に、悲しみが澱のように溜まっているのがわかる。
泣いたからだろう、瞼が重く、頭も痛む。
ナタリアの目には、見慣れた私室の天蓋が映っていた。気を失っている間に、城へと運ばれたらしい。
「ナタリア様…!」
気遣わしげなメリルの声に、ナタリアは首を動かし、目を向けた。ホッと安堵の息を吐いているメリルに、目を細める。
ナタリアがベッドから手を出し、メリルへと伸ばせば、何も言わずとも、メリルがその手を握り返し、身体を起こすのを手伝った。
「大丈夫ですか、ナタリア様。どこか痛むところはありませんか?」
「…メリル、フェニーは?」
メリルの顔に影が落ちる。明るい光を宿している緑の瞳も、今は暗い。
ナタリアは、渇いた唇から細く長く息を吐き出した。
「悪夢なら、よかったのに」
「…ナタリア様」
どれほど恐ろしい夢であっても、夢は夢。目覚めれば終わる。
けれど、あの子が消えたことは現実なのだ。紛れもない、現実、なのだ。
その重さが、ナタリアの胸に圧し掛かる。鼻の奥がツン、と痛み、視界が滲んだが、ナタリアは涙を流すのはおしまいだというように、少し乱暴に手の甲に瞼を擦り付けた。
さめざめと泣いている暇はない。
「ねぇ、メリル。私の診断結果を教えてくださいな」
「え?」
「私が気を失っている間に、シュウ医師が診たのではありませんの?ドレスではありませんもの」
寝巻き姿に変わっている己の姿を見下ろし、ナタリアは首を傾いで、メリルを見やる。メリルはこくりと頷き、戸惑うように視線を揺らした。
何をどう話すべきか、迷っているらしい。
ナタリアは、悲しみを孕んだ柔らかな笑みを浮かべた。
「私の病は、癒えたのでしょう?」
「っ、何故」
「わかりますわ、自分の身体のことですもの。それに…あのとき、感じたのですわ」
乖離していく、フェニーの音素。その音素の欠片──高密度の第七音素が、自分の身体へと流れ込んできたのを、覚えている。
生まれつき、自身で作り出すには足りない血中音素が、補われていくのを感じた。満たされていくのを感じた。
奇跡ですね、と無理矢理紡いだような擦れた声で、メリルが言う。ナタリアの片頬に、皮肉めいた自嘲が滲んだ。
「いりませんでしたわ、そんなもの」
「…ナタリア様」
「私が望んだ奇跡は、もっと、別の」
見たかった奇跡は、この身に起こる奇跡ではない。
二人のルークが手を取り合い、ともにキムラスカを導いていく姿が見たかった。
ルークとフェニーが兄弟として、並んだ姿が見たかった。
ナタリアはギリ、と奥歯を噛み締め、ベッドを力任せに叩いた。ずっと病弱で、まともに身体を動かすことなど出来なかった王女の非力な拳が、シーツに沈む。
手のひらに、強く強く、綺麗に磨かれた爪が食い込み、鈍い痛みをナタリアに与えた。
「…メリル」
「はい」
「父上に、いいえ、陛下にお話がある、と伝えてくださいませ」
「…何を、なさるおつもりですか?」
不安げに声をひそめ、視線を揺らすメリルに、ナタリアは一度、きつく目を閉じた。
朱色の髪を握り締める。あの子と同じ色の髪。ルークとよく似た──あの子自身ともよく似た顔。
苛烈な色を宿した翡翠の目を開き、ナタリアは握った髪を背に払った。
「私が、ルークになります」
「それは、レプリカになりすます、ということですか?」
「ええ、そうですわ。ヴァン・グランツはレプリカルークを何かに利用するつもりだったはず。それを知らねばなりませんもの。…そして、メリル。あなたには私の影武者となってもらいますわ」
「わ、私にそのような大役は…」
「私を世界で誰よりも知っているのはあなたですわ、メリル。あなた以外に影武者など考えられませんわ。もちろん、公式の場にまで立たせるつもりはありませんが、髪の色を多くの者に揶揄されてはいても、私の顔を知っている者となると、限られた忠臣たちだけです。鬘を被れば、簡単にはばれないでしょう。…病弱であったことが、幸いしましたわね」
苦い笑みを浮かべ、メリルの髪へと手を伸ばす。柔らかな金色の髪に指を絡め、ふんわりとナタリアは笑んだ。
その笑みに見惚れたように、メリルがことりと首を傾ぐ。
「ヴァン・グランツを欺ける自信がおありなのですか?」
「ガイにもフォローしてもらうつもりですけれど、欺きとおしてみせますわ。剣の稽古だって頑張ってみせます。…だって、ねぇ、メリル。許せないんですもの」
柔らかく、笑う子だった。他人の痛みを我がことのように感じ、労わることの出来る優しい子だった。
骨の髄まで王族である自分たちにはない優しさを、あの子は持っていた。あの優しさを、キムラスカの民にも分けて欲しかった。分けてやりたかった、のに。
けれど、あの子は逝ってしまった。消えてしまった。
本当の名を名乗ることも出来ぬまま、身代わりのまま、逝ってしまった。
優しい笑みを残して、逝って、しまった。
あの子は何のために生まれてきたのだろう。少なくとも、こんなところで死んでしまうためではなかったはずだ。
「ヴァン・グランツを私は許せません。ですが、何よりも、私は私自身を許せない」
ありがとう、とあの子は言った。礼を言われる資格など、自分にはないのに。
ルークのために生きて欲しいと願った自分に、結局、自分の幸せのために生きてと願った自分に、そんな優しい言葉も笑みも、向けられる資格などなかったのに。
(フェニー、私は)
酷い、惨い女なのに。
なのに、ああ。
あなたがこの身に残した音素は、温かくて、優しくて。──なんて、愛しい。
あの子の音素を身に宿し、自分は生きていくのだ。
「あの子のおかげで、私は自ら動ける身体を手に入れられました。だから、メリル。お願い」
あの子が為すべきはずだったことが、あるはずだ。それを自分にさせて欲しい。
お願いよ、メリル、とナタリアはメリルに懇願の目を向ける。メリルが吐息し、ベッドの脇へと膝をついた。
きょとん、とナタリアは瞬き、メリルを見つめる。
「お願いと言われてしまっては、聞かないわけにはいかないじゃありませんか」
「…メリル」
「私はずっとナタリア様の騎士でありたいと願ってきました。そのために弓の練習も、譜術の訓練もしてきました。すべては尊い御身をお守りする為に」
にこりと微笑むメリルが、ナタリアの手をそっと取った。
柔らかな唇が、手の甲へと押し付けられるのを、ナタリアは黙して眺める。
窓を叩く雨の音など、ナタリアの耳には届かなかった。
「騎士が姫の願いを聞き届けぬわけには、いきませんでしょ?」
「ありがとう、メリル」
ふふ、と少女たちは笑みを交わし、互いに決意を固めた。
未来を繋ぐ為に。
*
何もしなかったら、本当に世界は滅ぶかもしれない。
そんなことをナタリア──ルークは、陸艦タルタロスの薄暗い牢の中で思った。
はぁ、と何度目になるかもわからないため息が、口から零れる。さらしで潰した胸も苦しい。自分の胸があまり育っていないのは、これのせいもあるのではないかと、そんな考えが過ぎる。
メリルの胸は──止めよう、とルークは頭を振った。この問題は考えれば考えるほど、落ち込むだけだ。
ご主人さま、大丈夫ですの?と気遣わしげに大きな耳を揺らして、首を傾ぐチーグルの仔、ミュウの頭をルークは撫でた。
「ごめんな、ミュウ。俺のせいで、お前までこんなところに閉じ込められて」
「ご主人さまは何も悪くないですの!」
ふんむ、と胸を逸らし、怒ってみせるミュウに苦笑する。ずいぶんと懐いたものだ。本人、もとい、本チーグルにしてみれば、忠誠心の表れだと言うだろうが。
メリルがミュウを見たら、何と言うか楽しみだと思う半面、今の自分の境遇を知った際の怒りを思うと、またため息が漏れるのを止められない。
嬉々として、ヴァンを捕らえ、拷問にでも掛けているころだろうか。
(…お父様自ら、動いていそうですわね)
表向きは甥だが、実際には愛娘である自分が、ヴァンを襲撃した者によって、攫われてしまったのだ。しかも、その襲撃犯はヴァンの妹。言うなれば、自分は身内のごたごたに巻き込まれたということになる。
父もメリルも、怒り心頭に発していないわけがない。
帰国したら、自分も説教されることだろう。ティアとぶつかり、擬似超振動が起こったのは、ヴァンがティアを打ち払ったせいで、不可抗力なのだけれど。
ガイも早まった真似をしていないといいんだけどな、とルークは深く嘆息する。
(ガイは、間違いなく、後悔していますわね)
自分が側にいながら、と絶望に陥っていそうだ。早く立ち直ってくれるといいのだが。
フェニーの音素がナタリアの身に宿っていると知ってから、ガイはメリルにも負けぬほどの忠誠を、自分に誓うようになった。
フェニーの格好をし、ガイ、と呼びかけた自分に、泣き縋ったガイを、ナタリアは覚えている。
擬似超振動に巻き込まれながらも、五体無事に済んだことに心からの安堵を覚える。自分が死ねば、今度こそ、ガイの心は壊れるだろう。メリルの心も。
ミュウを膝に乗せ、頭を撫でながら、ルークはゆるりと目を細める。
それにしても、マルクトもダアトも使えぬ人材ばかりをよくぞここまで集めたものだと、呆れの嘲笑がルークの口の端に滲んだ。
イオン様がお一人で森に、と訴えるティアに無理矢理、連れて行かれ、出会った導師イオン。優しいばかりで、為政者としての自覚のない姿に眉を顰めはしたものの、フェニーの姿が重なり、見捨てきれなかったのは自分の弱さだろうかと、ルークは苦笑う。
結果だけ見れば、チーグルたちのいざこざに巻き込まれたのはよかった、のだろう。導師イオン一人であったなら、ライガクイーンを説得など出来なかったであろうから。
そもそも、イオンの言は説得にすらなっていなかったが。
(ライガクイーンがもしもあの場で人間に殺されるようなことになれば…エンゲーブが報復を受けていた可能性だってあるというのに)
エンゲーブはオールドラントにとって欠かせない土地だ。エンゲーブが深刻な被害を受け、農作物の供給が滞るようなことになれば、キムラスカにも害が出る。
そう、だから、あそこまでは、まだよかったのだ、巻き込まれたのも。ミュウという新たな忠臣にも出会えたのだから。
問題は、その後だ。
「…参ったな」
このままでは、戦争が起こりかねないと、ルークは眉根を寄せる。和平の使者だと宣言した口で、ルーク・フォン・ファブレと名乗った自分を拘束する命令を出した男が頭を過ぎる。
ジェイド・カーティス。「死霊使い」と敵味方ともに恐れられているジェイドの噂は、ルークも耳にしていた。
(マルクト9世も、何を考えて、カーティスなどを使者に選んだのかしらね)
あの男のキムラスカでの評判は、すこぶる悪い。当然だ。何度も辛酸を舐めさせられているのだから。
そんな男を選んだ時点で、どうして、和平を本気で結ぶつもりなのだと思えよう。自分が仲介役を断ったのは、当然の成り行きだ。ジェイドもティアもイオンもイオンの側にいた導師守護役もそうは思わなかったようだが。
大体、何故、一介の響長でしかないティアが、ああも偉そうにしているのかも理解出来ない。フェンデはユリア・ジュエの子孫だとガイが言っていた覚えがあるが、だから、なのだろうか。
グランツ一家は、一度、頭のネジを締め直した方がいい。
首を振り、ルークはミュウをぎゅう、と抱き締めた。みゅ、と短くミュウが鳴く。触り心地のいい毛皮に、癒される。
──不意に、アラーム音が艦内に響いた。
びくりと肩を震わせ、ルークは顔を上げる。何かが起こったらしい。チッ、と思わず、舌を打つ。
メリルがいたら、大いに嘆いていたことだろう。そして、ガイが側にいるせいですわね、とガイを苛めていたに違いない。
今はそんなことを考えている場合じゃないか、とルークは頭を振り、髪の中に手を入れた。隠していた小さなナイフを取り出し、手のひらに隠し持つ。
殺傷能力は低いが、詠唱速度と譜術効果を高める能力があるのだ。牢には譜術使用防止の術が施されているため、今は詠唱したところで何の効果も得られないが、牢が開けば話は別だ。
油断なく身構えていれば、ミュウもまた腕の中で唸った。自分を守ってくれるつもりらしい。
しばらくして、コツコツと駆けてくる足音が聞こえてきた。ジェイドであっても、ティアであっても、他のマルクト兵であっても、あるいは、まったく別の誰かであっても、打ち払うまでだ。逃げ出すチャンスを逃すつもりはない。
何があっても、自分は五体満足でキムラスカに帰り着かねばならないのだ。
どくりと、心臓が跳ねる。実戦の経験など、ろくにない。タタル渓谷で目を覚ますまでは、魔物と戦ったことだってなかった。
恐怖に押し負けそうになる心を、ミュウの体温と王女としての矜持で奮い起こす。
カッ、と靴が床を打ち、人影がルークの前に現れた。
「……ッ」
その人影は、仮面で顔を覆っていた。それでも、ルークには、それが誰かわかった。
薄暗い第五音素灯の明かりを受けた男が、紅い髪を背に垂らしていたからだ。
はぁ、と男が零した荒い呼気が耳朶を打つ。
ルークの手から力が抜け、カラン、とナイフが転がった。ミュウが訝しげに、ルークを見上げる。
「ルー…」
呼びかけて、慌てて、口を噤む。人の目があったら、と危惧したのだ。
今の彼は、アッシュと呼ばれている。迂闊に、本当の名を呼ぶわけにはいかない。
大丈夫だ、と覚えているよりも低い声が降ってくる。誰もいない、と声は続いた。
「今、出してやる」
下がっていろ、と言われるがままに、ミュウを抱き、下がる。
男が剣を抜き、鮮やかな手並みで牢の格子を断ち切った。ガランガラン、と格子が崩れ落ち、男は剣を鞘へと収めると、ルークが見つめる中、仮面に手を掛けた。
仮面の下から現れた顔は。
「…ナタリア」
「ルーク…!」
ミュウを抱き締めたまま、ナタリアはルークが広げた腕の中に飛び込んだ。朱色の髪がさらりと揺らめき、紅い髪に絡む。
温かな、懐かしい腕の中で、ナタリアは翡翠の瞳を潤ませた。
「無事でよかった…ッ。お前がティア・グランツと擬似超振動を起こして姿を消したと聞いたときは、どれほど不安になったことか…!」
「っ、ごめん、なさい、ごめんなさい、ルーク。私、私は…」
「謝ることはない。お前が無事なら、それで…」
「違う、違うのです。…守れなくて、ごめんなさい」
白い頬を涙で濡らし、ルークを見上げる。ルークが訝しげに眉を顰めた。
幼いころも、よくこんな顔をしていたと、ナタリアは心のうちで思う。
きゅ、と唇を薄く噛んでから、ナタリアは目を伏せた。
「貴方の半身を、私は守れなかった」
「お前のせいじゃない」
「それでも、ですわ。…知って、いたのに。貴方には同じ力を持つあの子が、フェニーが必要だと、わかっていたのに」
守れなかった、死なせてしまった。
優しいあの子に、貴方を会わせたかったのに。
ナタリアの頬を流れる涙を指で拭い、ルークが緩く首を振った。
「話は、聞いている。レプリカ、いや、フェニーの音素はお前の中にあるのだろう?」
「…ええ」
「なら、あいつは完全に失われたわけじゃない」
「…詭弁ですわ」
「そうだな。…だが、それでも、言葉にすれば、力になる」
ルークの指が、優しくナタリアの髪を梳く。毛先が金色に染まる朱色の髪を見やり、ナタリアは目を細めた。
あの子と同じ色の髪。
そうね、とナタリアは微かな笑みを口の端に昇らせた。
あの子の音素は、この身に生きている。ならば、やはり、自分は死ぬわけにはいかない。
精一杯、生き抜かなければ。
「ナタリア、俺は表立って動くわけにはいかないが、ファブレの影を部下として紛れ込ませてある。そいつと一緒に逃げろ」
「わかりましたわ。…ルーク、どうかご無事で」
ああ、とルークが頷き、ふと、思いついたように、ぐい、とナタリアの肩を引いた。
ぱちくりと瞬くナタリアの唇を、一瞬、ルークの唇が掠める。赤く染まった頬を仮面で隠し、アッシュに戻ったルークが、神託の盾騎士団の軍服の裾を靡かせ、去っていくのを、ナタリアは呆然と見送った。
頬が、熱い。唇も熱い。
「…ご主人さま?」
何が何だかわからない、と混乱に目を回しているミュウに、はた、と我に返る。
気づけば、側に、ファブレの影が寄ってきていた。こちらへ、と導くその声に従い、走り出しながら、腕の中のミュウに、ルークに戻ったナタリアは笑みを落とした。
「今のは、内緒だからな、ミュウ」
特に、ティアたちには。
自分が本当はキムラスカ王女ナタリアだと知れば、彼らのことだ、騙したのか、と自分を罵ることだろう。それが不敬という罪をさらに重ねることとも理解せずに。
これ以上、煩わしい思いをするのは、ご免だ。
ティアたちを嫌うミュウが、わかりましたですの!と元気よく頷き、ルークは小さく笑った。
朱色の髪が煌くように、ルークの背を舞った。
END
真ナタ=レプリカルークなネタは好きなものの、書いてみると、難しいというか…!
ナタリアがルークを名乗るには、レプリカルークが消える必要があるよなぁ、と考えた末の話でしたが、少しでも青蓮さんにお気に召して頂けたなら幸いです。
リクエスト、ありがとうございました!